コラム

2013年09月スペシャルコラム「刑事カイカン My Favorite Song(下)」

■第5章

 再び夜が明けた。昨晩中田一憲の葬儀は家族の希望通り親族のみで行なわれ、朝のニュースでもその様子が報道されることはなかった。そして今日もまた街も人も立ち止まることなく歩き続けている。昇った太陽は容赦なくアスファルトを焦がし、急かされるように西の空へ沈んでいった。
 午後7時30分、川平賀子はテレビ局の横にあるオープンカフェにいた。山岡重司は音楽番組に出演中、売り上げ好調の新曲を披露している頃だ。生ぬるいビル風が彼女のワンレンの髪を揺らす。注文したアイスコーヒーとサンドイッチにもほとんど手をつけず、彼女はぼんやり夜の街を見ていた。
「…川平さん」
 後ろから呼びかけられる…賀子にはその低い声の主がすぐにわかった。
「まだ大阪にいらっしゃったんですね、刑事さん」
 振り向くとそこにはカイカンが立っていた。ビル風は刑事のコートの裾も静かに揺らしている。
「お食事中にすいません。テレビ局に行ったら、こちらだと言われたもので」
「ええ…山岡は今音楽番組に生出演中で。あ、どうぞ」
 賀子は自分の向かいの席を促した。カイカンはそれに応じる。
「本当は収録中、マネージャーはそこにいなくちゃいけないんですけど…どうも体調がすぐれなくて。そうしたら山岡がここで休んでいていいと言ってくれましたから」
「確かに…お食事も進んでいないようですね。調子が悪いというのは、きっとお体だけでなくお気持ちの方もでしょう」
 今夜のカイカンの声はどこかあたたかい…賀子にはそう感じられた。
「…そうですね。中田さんがいなくなって、お葬式にも出なくて…私何やってるのかなって感じです」
 彼女は力なく言う。そこで刑事は彼女の左腕の時計をそっと指差した。
「腕時計の時刻…まだ直してらっしゃらないのですね。今は夜の7時半なのに、午前2時半になってますよ」
「…そうですね」
 彼女は小さく答える。そこでカイカンは少し間をおき、ゆっくりと言葉を続けた。
「川平さん…私の推理をお話しします。まずその時計についてですが、それはただ壊れて時間が狂っているわけではありませんね?そもそもマネージャーというスケジュールを管理しなくてはいけない仕事のあなたが、いつまでもそのままにしているのは不自然です。正しい時刻に合わせるなんてすぐにできることですから」
 賀子は何も言わず視線を逸らす。カイカンは続けた。
「そもそも時刻はスマートフォンでも確認できます。それなのに何故あなたは時刻の合っていない腕時計を毎日身につけていらっしゃるのか…」
 カイカンはそこで右手の人差し指を立てる。
「私はこう考えました…その腕時計は別の目的で使用しているのではないか、と。そう、その時計が示している時刻は正しいんです。ただしそれは日本の時刻ではありません…日本より17時間遅い場所、ロサンゼルスの時刻です。つまりあなたは、恋人の中田さんがいるロサンゼルスの時刻を知るためにその腕時計をしていたんです」
 賀子の瞳に再び涙が滲む。カイカンはそこで優しい声で「…違っていますか?」と尋ねた。彼女は眼鏡を外し、ハンカチを顔に当てながら答える。
「ごめんなさい…何か言い出しにくくて。刑事さんのおっしゃる通りです。この腕時計はしばらく会えない彼が今どうしてるかわかるようにロスの時刻にしていたんです」
「別に何も責めているわけではありませんよ。とっても…素敵だと思います」
 そこで彼女は少しだけ微笑む。
「いい歳して恥ずかしいですけどね、アハハ…」
「川平さん、ここが肝心なところなんですが」
 カイカンの声が少し厳しくなった。
「あなたがロスの時刻の腕時計をしていたということは、同じように中田さんも日本時刻の腕時計をしていたのではありませんか?」
「はい…彼が日本を発つ時に私がプレゼントしました。2人ともそれまでは腕時計をする習慣がなかったんですけどね、離れていても繋がっていられるように…アハハ、本当に恥ずかしいです」
「やはりそうでしたか、ありがとうございます。中田さんの遺体が発見された現場から腕時計は発見されませんでしたから、あなたに確認するしかなかったんです」
「刑事さん…じゃあ腕時計は強盗犯が持ち去ったということですか?」
 そこでカイカンは立てていた指を下ろし、静かに言った。
「川平さん…あなたは本当に中田さんは強盗に殺害されたと思いますか?」
 賀子はその質問に少し驚きの表情を見せる。
「どういう…意味ですか?」
「あなたはあの夜、中田さんがあなたに会わずにどこに行ったのか…誰に会いに行ったのか、ご存知なのではないですか?少なくとも心当たりはあるはずです」
 カイカンの声がさらに厳しくなる。何も答えない賀子に、その声はついに決定的なことを告げた。
「山岡重司の新曲は中田さんのものではありませんか?」
 賀子の涙が止まる。その凍りついた表情は、カイカンの質問が真であることを物語っていた。
「…やはりそうでしたか」
 カイカンが寂しそうに言う。そしてその場にしばしの沈黙が訪れた。生ぬるい風が賀子のワンレンとカイカンの前髪をそっと揺らしている。

「刑事さん…私、どうしたらいいですか?」
 やがて賀子がうつむいたまま声を絞り出した。カイカンは静かに答える。
「ご存知のことを教えてください。それが…あなたの大切な人の死を明らかにするはずです」
「…山岡も、私にとっては大切な存在です」
「だとしても、あなたは真実を話すべきです」
 そこで数秒間の沈黙…やがて賀子は唇を結んで顔を上げた。
「わかりました、お話しします」
 彼女は意を決したようにカイカンの視線に正面から向き合った。
「まず今回発売された山岡の新曲ですが、確かにあれは中田さんが以前に作った曲です。初めて聴いた時、私も昔彼から聴かせてもらった曲と同じだと思いました」
 カイカンは黙って頷く。彼女は続けた。
「だから発売前の音源をロスの彼に送ったんです。そして電話で確認したら、確かに昔自分が山岡に渡したデモMDに入れてた曲だと言ってました」
 そこで彼女は身を乗り出す。
「でも刑事さん、彼はちっとも怒っていませんでした!山岡がスランプだったのは彼も知ってましたし、『山さんの役に立てたなら嬉しい。今の自分があるのは山さんのおかげだからこれは恩返しだよ』って笑ってましたから。だから…!」
 興奮気味の賀子にカイカンが尋ねた。
「そのことでもめて、重司が中田さんを殺すなんてありえないと?」
 彼女は黙って頷く。
「ではあの夜空港からあなたに電話してきた中田さんは、重司のことを何か言ってませんでしたか?」
「確かに…山岡のスケジュールを尋ねてきました。それで、あの夜山岡が自宅にいることも確認してました。でも…」
「つまり、中田さんは重司が家にいることを知っていた…ナルホド」
 カイカンは感情のない声でそう呟く。彼女の語調が強くなった。
「刑事さん!仮にあの夜彼が山岡に会いに行ったとしても、そこで殺されたわけはありません。2人は本当に仲良しで…あの人は心から山岡を尊敬してました」
 そこでカイカンは無言で席を立つ。彼女も慌てて立ち上がった。
「ちょっと待ってください、刑事さん!」
「川平さん…」
 カイカンは前髪に隠れていない片眼で彼女を見つめて言った。
「この事件の犯人は…山岡重司です」
 彼女の勢いが止まる。カイカンは静かに続けた。
「本当はあなたも…わかっているのではありませんか?長年苦楽を共にしてきたマネージャーさんなら、重司が何かを隠していることを…薄々感じておられるのでは?だからあいつが中田さんの曲を自分の曲として歌う姿を見ていられなくて、あなたは今ここにいる」
 賀子はそこで腰が砕けたように再び椅子に座り込む。カイカンはゆっくり背を向けた。
「ありがとうございました…ごめんなさい」
 そう小さく言うと刑事はその場を去る。その姿が街に消えていくと、賀子はテーブルに突っ伏して声を殺して泣いた。オープンカフェから漏れるその泣き声も、夜の街の雑踏に掻き消されていった。

■第6章

 午後10時過ぎ、テレビ出演を終えた山岡重司はアパートに戻り一息ついていた。そこに玄関のチャイムが鳴る。
「…重司」
 ドアの向こうからは低くよく通る声。山岡は険しい面持ちでゆっくりドアを開けた。そこにはカイカンが立っている。
「何やお前、まだおったんかいな。今夜も遊びに来たんか?」
「いや…。ちょっと話したいことがあって」
 カイカンも真剣な面持ちで答える。
「…まあええわ、上がれや」
 山岡はそう言って招き入れる。カイカンは部屋に入ると、座らずに話し始めた。
「中田さんが殺された事件について…自分なりの結論が出たんだ」
「そうかいな、じゃあ教えてくれや」
 山岡も立ったまま答える。そこでカイカンは両手の拳を握り、一瞬息を吐いてからはっきり言った。
「…殺したのは君だよ」
 その声は部屋に重く響く。2人の男はしばらく微動だにせずお互いを見つめていた。やがて山岡がその瞳に敵意を浮かべて言った。
「本気で言うてんのか?」
「…ああ」
「本気の本気やな?」
「…ああ、そうだ」
 全く引き下がらないカイカンに対して、そこで山岡は少し口元をゆるめて言った。
「よっしゃ!じゃあ言うてみいや、一体何を根拠にその結論になったんか」
 カイカンは答える。
「あの夜、君は中田さんに会ってる。でもそのことを隠している」
「会ってないって何度も言うたやろ!」
「…それは嘘だよ」
 食って掛かる山岡にカイカンは強い語調で言った。
「君は中田さんに会ってるんだよ。だって最初に事務所で話をした時、君はこう言ったじゃないか…『中田は殺されて金とか腕時計を奪われた』と」
「それがどないしてん。事情聴取の時にそう警察から聞いたからそうお前に言っただけや」
「警察がそんなことを言うわけはないんだよ…だって中田さんが腕時計をしてたことは誰も知らなかったんだから」
 その言葉に山岡は口をつぐむ。カイカンは続けた。
「確かに事件当時中田さんは腕時計をしていた。でもその腕時計はロスに行く直前にプレゼントされた物なんだよ。君もそうだけど、ギターを弾く人間はあんまり腕時計をしない…演奏の邪魔になるからね。今日中田さんのマネージャーの田辺さんが帰国したんだけど、彼にも確認したら中田さんが腕時計をしたのは今回ロスに行ってからが初めてなんだよ!」
 カイカンの声は厳しい…しかしそこにはどこか悲しい響きがある。まるで込み上げる感情を無理に抑えるかのようにその言葉は続けられた。
「重司、わかるか?あの時点では警察も中田さんが腕時計をしていたことは知らなかった、だから奪われたなんてわかるはずがないんだ。しかし君だけはそれを知っていた…中田さんにはずっと会っていなかったはずの君が。それは、君自身が腕時計を奪った犯人だからだよ…強盗の仕業に見せかけるために」
 カイカンはそこで言葉を止める。山岡は視線を逸らさず黙っていたが、やがて鼻で笑って答えた。
「俺、ほんまにそんなこと言うたか?」
「…重司」
 カイカンが少し怒りの色を見せる。山岡は続けた。
「仮に、仮にやで、俺がそんなこと言うてたとしてもそんなのただの勘違いやろ。中田が強盗に遭ったと聞いて、金だけやのうて腕時計も盗られたと連想してもうただけや。ただの思い込みやで」
 山岡は余裕をアピールするかのように両手を腰に当てる。
「そんなんで俺が中田に会ったことになるんかいな、刑事さん?」
「…それだけじゃないんだよ」
 カイカンはさらに語調を強めて言う。
「中田さんがあの夜ここに来たという決定的な証拠が残ってるんだ」
「何を言うてんねん、来てない言うてるやろ!そんなに言うなら鑑識でも何でも連れてこいや!」
 山岡が怒りをあらわにする。
「でもなあ、中田は何回もこの部屋には遊びにきてんねん、指紋とかが出てもおかしくないんやで」
 鼻息を荒くする山岡に、カイカンは静かに言った。
「重司、昨日の夜ここで飲んだ時に話したピックの謎、憶えてるか?どうして中田さんは11枚のピックを買ったのか…」
「それが何なんや」
 カイカンはそこで右手の人差し指を立てる。
「どうして10枚より1枚多かったのか…でもそもそもこの疑問が間違ってたんだ。彼はロスにいたんだよ、そこでピックを買ったんだ。君も知ってるだろ?欧米では10を1単位とする以外に1ダースという単位が広く用いられている」
 山岡は黙って聞いている。カイカンは続けた。
「1ダース、つまり12枚で1セット。中田さんはロスで1ダースセットのピックを買ったんだ。となれば11枚という数字は1枚多いわけじゃなくて1枚少ないことになる。君もギターを弾くからわかるだろ?ギタリストはピックを財布やポケットに入れて持ち歩く…つまり中田さんは1ダースから1枚取ってそれを持ち歩いてたんだ。でも、現場にピックはなかった」
 山岡の脳裏にあの夜の光景が浮かぶ。あの雨の中、訪ねてきた中田はこの部屋で…。その先はカイカンが言った。
「中田さんはこの部屋であのギターを弾いたんじゃないのか?」
 カイカンが壁際のギターを指差す。山岡は微動だにしない。
「慣れないピックに慣れないギターで中田さんが弾いたとすれば…ほら、よくあるミスだよ。弦を切っちゃったりピックをギターの中に落としちゃったり」
 カイカンは少し軽い口調でそう言うと壁際のギターに近づきそっと持ち上げる。山岡の余裕は完全になくなり、明らかにうろたえていた。
「しかもギターの中に入ったピックって、うまくはまっちゃうとなかなか出てこないんだよね。高校の頃も何度もそれで苦労したよな」
「まさか…嘘や…」
 怯えた顔の山岡を横目に、カイカンはギターホールを下に向けると思いきりギターを上下左右に振った。やがてギターの中でカチャカチャと何かが内壁にぶつかる音がして、ついに1枚のピックがホールから飛び出した。その瞬間、山岡から大きな溜め息が漏れる。
 カイカンはギターを壁際に戻すと、床に落ちたピックをそっとハンカチで包んで拾う。
「中田さんの部屋にあった残り11枚と同じピックだ…きっと彼の指紋も着いてると思う」
 がっくり肩を落としている山岡にカイカンははっきりと言った。
「君が1ヶ月前に買ったギターに、3ヶ月前からロスに行っていた中田さんのピックが入ってる。…これでも彼とは会ってないと言い張るかい?」
 山岡の脳裏にあの夜の中田が浮かぶ。確かにギターを弾いていた時、彼が「あっ」と声を上げた瞬間があった。
「そうか…そういうことか。あいつはまだまだギターがヘタクソやったからな」
 山岡はそう言って微笑むと、残念そうな眼差しでカイカンに言った。
「…俺の負けや。ほんまにプロの刑事になったんやな…お見それしたで」
 そこでカイカンも寂しそうに微笑む。
「ああ…そうだよ。君がプロのミュージシャンになったようにね」

 その後2人は昨夜のようにテーブルを挟んで床に腰を下ろした。もう何も演じる必要がなくなった山岡は穏やかに言う。
「お前のことやから…動機も見当がついとるんやろ?」
「やっぱり…盗作のことか?」
 カイカンも穏やかに答える。山岡は黙って頷いた。
「ああそうや。俺、やってもうたんや。どうしても昔みたいにええ曲のアイデアが浮かばんで…ついな。あの夜、中田はそれを言いにここに来たんや。俺、怖くなってもうて…それで発作的にあいつを…」
 そこで山岡の頬を涙が伝った。
「ほんま…アホなことしたで」
 声を震わす山岡に、カイカンは静かに言う。
「中田さんは本当に君を盗作のことで脅そうとしたのか?」
「ああ…だってあいつ笑顔で言うたんやで?『この曲、疑われてますよ。でも僕が明日社長に言っておくから大丈夫です。後のことはお願いします』って…。どう考えても、盗作のことは庇ってやるからこれから言うことを聞けってことやろ」
 その言葉を聞いて、カイカンは残念そうに溜め息を吐く。
「そうか…そういうことだったのか」
「…まあせやから言うて人を殺してええことにはならんけどな」
「違うよ重司、そうじゃない」
 カイカンはそこで優しく言った。
「中田さんはこう言ったんじゃないかな?『疑われてる』じゃなくて『歌が割れてる』って…つまりあの新曲の君のボーカルの音が割れてる、と」
「えっ?」
 山岡が視線を上げた。カイカンは続ける。
「よくよく聴かないとわからない…正直ほとんどの人は言われても気づかない一瞬のノイズだけど、確かにあの曲にはそれがあった。きっと中田さんは帰国する飛行機の中で音源を聴いていてそれに気がついたんだ…彼は耳が良かったんだろ?発売されたCDの音が割れてるなんて由々しき事態だから、それで彼は急いで君を訪ねた。社長に伝えようとしていたのもそのことだよ」
「そ、そんな…。じゃあ後のことはお願いしますって言うたのは…」
「音を直す作業のことだったんだよ。実はね…中田さんの親しい人に話を聞いたんだけど、彼は確かに盗作のことには気づいていたけど全く怒っていなかったそうだよ。自分をこの世界に引き込んでくれた君に、心から感謝していたって…」
「そんな…そんな…ほな俺は何のためにあいつを…」
 山岡の全身が震えだす。涙もさらに筋を増やす。そんな彼をカイカンは見つめながら言った。
「本当に悲しい勘違いだ。盗作をした、というやましい気持ちが君の中にあったから…中田さんの優しい言葉が脅しに聞こえてしまったんだね」
「う、ううう…あああ!」
 山岡はテーブルに突っ伏して声を上げて泣いた。彼が落ち着くまでカイカンはその背中をそっとさすり続けていた。

 1時間後、呼吸を整えた山岡は2人分のホットコーヒーを用意した。それをテーブルに置き、カイカンに振る舞う。
「ありがとな、もう大丈夫や」
「…そう」
 カイカンは静かに答えカップに口をつける。山岡も少し飲んでから言った。
「なあ…お前、最初から俺を犯人やと推理して大阪に来たんか?」
「まあ…そうじゃないことを祈っていたけど、もしそうだったら少しでも早く自首してほしいと思ってね」
「…自首?逮捕せえへんのか」
「管轄が違うからね。…まあ君は一生嘘をつき通せるヤツじゃないし、仮に捕まらなかったとしてもずっと苦しむことになる。遅かれ早かれ自首したと思うけど…再出発するなら早い方がいいから」
 カイカンはそう言って微笑む。
「お前…そのために来てくれたんか」
「少しでも君にあの時の償いがしたくて」
 そこで山岡はカイカンの頭を小突いた。被っていたハットが後ろに落ちる。
「アホなこと言うなや。そのことは気にしてへんって言うてるやろ。これは俺がしたことなんやから俺が責任とらなあかんねん」
 山岡はコーヒーを飲む。そしてあたふたしている友人に優しく言った。
「でも…ありがとな、来てくれて」
 その言葉にカイカンも微笑む。山岡が少しいつもの調子に戻って身を乗り出した。
「でもお前の推理すご過ぎへんか?同じ事務所の後輩が死んだってだけで俺を犯人と疑うなんて」
「だってそれは…」
 カイカンもコーヒーを飲んで答える。
「今回の新曲は明らかに君の曲じゃなかった。そう思った矢先にテレビから君の後輩ミュージシャンが亡くなったってニュースさ。そりゃあピンとくるよ」
「ちょい待て、何で俺の曲やないってわかったんや?そら確かに作風が違うかもしれへんけど、俺だって今まで色んな曲を作ってきたんやで?」
「…わかるさ」
 そこでカイカンはカップを置いて言う。
「この世界の誰よりも長く君のファンをやってるんだから」
 山岡は驚いて何も言えない。するとカイカンは話を続けた。
「あ、そうそう…あの時の君の質問にも答えなくちゃね」
「え?何やったかな」
「ほら事務所で会った時、言ってたじゃないか…『お前の一番好きな曲を教えてくれ』って」
「そう言うたらそうやったな」
 山岡はそこでカップを置きテーブルの上で腕を組む。
「ほんで?俺の曲の中でお前が一番好きなのはどれやねん。やっぱ紅白にも出たあれか?」
 笑顔が戻ってきた山岡を見ながらカイカンはコートのポケットに手を突っ込む。そして、イヤホンに繋がれたそれを取り出した。
「何やこれ、テープレコーダーやないか」
「…そうだよ。やっぱり一番好きな君の曲は、これだから」
 カイカンはイヤホンを抜き再生ボタンを押す。するとテープがカタカタと回り始め、やがて明るいギターと歌が聴こえてきた。
「お前…これ…」
「憶えてるかい?」
 そう、それは高校時代に山岡が初めてカイカンに声をかけた時、あつかましくも渡してきたデモテープ。一緒にやろうと誘ってきたあの曲だ。
「ようこんなしょうもないの持っとったな…」
「確かに根…。歌詞もありきたりだし、歌もギターもヘタクソだ。そもそもチューニングだってちゃんとできてない。それでもね…こんなに幸せな気持ちになれる曲はないよ。だから今でも辛いことがあるとついつい聴いちゃうんだ」
 山岡もかつての自分の音楽に耳を傾ける。
「こんなに楽しそうやったんやな…俺」
 テープの中の昔の彼は、調子外れの歌声をただ嬉しそうに上げている。それを聴いている現在の彼の顔がほころぶ。
「ずっとスランプや思うてたけど…やっとつっかえが取れた感じや」
 2人は黙ってそれを聴く。その演奏が終わったらそれぞれ別々の道を進まなくてはいけない…そのことを少しだけ忘れるために。

 やがてそのノイズだらけの演奏は終わり、テープが止まった。山岡はレコーダーをカイカンに手渡すと、ゆっくり立ち上がる。カイカンもそれをポケットにしまうと、ハットを拾って腰を上げた。
「ほんまにありがとな」
「いや、こちらこそありがとう」
 カイカンはそう言ってハットを被る。山岡はそっと右手を差し出した。
「それに、最後に一緒に飲めて…ほんまにほんまに楽しかったわ」
 カイカンはその手を握り返して答えた。
「最後じゃないよ、別に」
 山岡も頷く。
「せやな。ほなまた、必ずな」
 そう言って彼はさらに強くカイカンの手を握り返した。

■エピローグ

 翌日、山岡重司自首のニュースは午前10時のワイドショーを騒がせていた。東京駅の改札を出たカイカンの前に、ムーンが姿を見せる。
「いやあムーン、迷惑かけたね」
「いえいえ、警部こそ色々お疲れ様でした」
 ニュースである程度の経過はわかっていたが、彼女はあえてそれ以上のことは言わなかった。
「警視庁に戻ったら、3日分の仕事が山積みですよ」
「わかってますって」
「あとそれとこの前のCDのお金もまだですから」
「はいはい、それもわかってますとも」
「それでは早く戻りましょう。あっちに私の車が停めてありますから」
 2人の刑事は都会の雑踏の中を歩いていく。やがてムーンのオープンカーが見えてくる。カイカンは助手席に乗り込みながら言った。
「そういえば、1つ頼まれてくれないかな?」
「…何です?」
 運転席でシートベルトをしながらムーンが答える。カイカンはコートのポケットからそれを取り出した。
「これなんだけどね」
「…腕時計ですね」
 カイカンはそこで少し微笑んで言う。
「実はこの時計、亡くなった中田さんの遺留品なんだけど…重司のヤツ、捨てられなくて持ってたんだ。あいつらしいよ」
「遺留品…」
「だから本当はこれ、大阪府警に提出しなくちゃいけないんだけど黙ってネコババしちゃった。この腕時計は中田さんと恋人との大切な思い出の品だからね」
「ネコババはまずいのでは…」
 ムーンが困った顔をする。
「まあまあ、事件は終わったんだから。そこで君にお願いなんだけど、この腕時計をその恋人の女性に返しておいてくれないかなあ。もう少し時間が経ってからでいいから」
「え?でもその恋人って大阪にいらっしゃるのでは…」
「その通り」
「でしたら警部が東京に戻る前に返してくればよかったじゃないですか」
 ムーンがあきれたように言う。カイカンはそこで人差し指に前髪を絡ませながら答えた。
「そうなんだけど…彼女を随分傷つけちゃったからどうも顔を合わせづらくて」
「まったく…。タイミングが悪いんですよ、警部は」
「フフフ、そうだね。昔重司と音楽やってた時もよくリズム感がないってあいつに言われたよ」
 カイカンの声は少し寂しそうに聞こえた。ムーンはそれには答えず車のエンジンをかける。車体が勢いよく震えだすと同時にカーラジオも流れ始めた。
「じゃあ警部、出発しますよ。シートベルトしてください」
 しかしカイカンは動かない。腕時計を握ったままスピーカーを見つめている。
「この曲…」
 それは山岡重司のヒット曲だった。どうやらニュースの中で彼の軌跡を振り返っているらしい。その明るく力強い歌声に周囲の雑踏がかすむ。
「警部…」
「その恋人の女性が言ってたんだ、『歌手は楽曲の中で永遠に生きてる』って…。確かに音楽の中には永遠の時間があるのかもしれない。でもそれを聴く人間の時間は動いていなくちゃいけないよね。私も随分時間がかかったけどまた重司と笑い合えた。彼女の時計もいつかきっと…また動き出すよ」
 優しい声でそう言うカイカンを横目にムーンは少しずつ車を動かし始める。
「ムーン、やっぱりこの腕時計、私が返しにいくよ」
「ぜひそうしてください。ほら警部、シートベルトお願いします」
「じゃあさっそく今から有給取って大阪に…」
「ダメだっつーの!」
 ムーンはアクセルを踏み込む。急激に加速された車は走り去っていく…カイカンの絶叫と共に。

THE END.

■あとがき

 『人と曲の組み合わせ』を結構憶えていたりします。この曲はあの人が車で流していたなあとか、カラオケで歌っていたなあとか、曲を聴くとそれを好きだと言っていた人のことも一緒に連想します。その人の好きな曲を知るということは少しだけその人の心や生き方が見えるような気がして、私はとても好きです。
 今回のお話は音楽をキーワードに『探偵の親友が犯人』というかなりベタな設定でしたがいかがだったでしょうか。カイカンも山岡重司もきっと私の中にある「こんなふうに生きたかった」という姿の投影のような気がしています。
 あなたには好きな曲がありますか?

平成25年9月14日 福場将太

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