コラム

2017年2月★スペシャルコラム「刑事カイカン 二人のタイムカプセル②」

*このコラムはフィクションです。

■第三章① 〜ムーン〜

 3月2日、火曜日。ついに明日になってしまった。でもまあ昨日のやりとりで確信した。彼女があの約束を憶えているはずがない、仮に憶えていたとしてもそれを果たすことなんて有り得ないと。その意味では少しほっとした。
 私ももう考えるのはよそう。そう、これで心置きなく捜査に当たれるってもんだ。
 午前9時、予定どおり私は大宮光路の保険証に合った住所を管轄する区役所を訪ねた。

「ナルホド、そういうことですか。さすが全知全能のビンさん」
「おいおい、大袈裟だな」
 午後1時、警視庁の部屋に戻ると警部とビンさんが何やら盛り上がっていた。お疲れ様です、と入室した私に「やあムーン」と警部が振り返る。
「昨日の謎、ビンさんのおかげで解決できたよ」
「謎というのはもしかして…」
「そう、シャベルとスコップの違いさ」
 やっぱり。好奇心旺盛なのはいいけど優先順位も考えてほしい。
「ビンさん、もう一度説明して頂けますか」
 警部にそう促され、ミットの長は子供に童話を読み聞かせるような柔らかい語り口で始めた。
「カイカンが調べたようにシャベルとスコップはJIS規格では区別されているけど、日常で使う言葉としては特に厳密な区別はないんだよ。まあ一般的には大きさで区別することが多いんだけど、フフフ、ここが面白くてね」
 ビンさんは右手の中指をこめかみに当てて微笑む。
「西日本では土木で使うような大きい物をシャベル、園芸で使うような小さい物をスコップと呼んでいる。でも何故だか東日本ではこれが全くのあべこべなんだ。だから広島出身のカイカンにとってのシャベルは、東京出身のムーンにとってはスコップだったってこと。
 まあもとを正せばシャベルの語源が英語でスコップの語源がオランダ語ってことだから、そもそも同じ物を表しているんだ。パートとアルバイトみたいなもんだね。なんとなくで使い分けてるだけで明確な違いはない。だから二人とも正解で二人とも間違いってことだ」
「大変参考になりました。いいかいムーン、つまり引き分けってことだよ」
 警部も満足そうな顔。いや別に最初から張り合ってないから。
 ビンさんは笑いながら立ち上がると、スーツの上着に袖を通した。
「カイカン、僕はこれから外勤に出てそのまま直帰するからよろしくな。
 もし消えた花咲かおじさんがシャベルを大きい物として認識していたなら、その人物は西日本出身の可能性が高いぞ」
「はい、了解しました」
 頭を下げる警部にならって私もそうする。ビンさんは「それじゃ頑張って」と部屋を出ていった。
 かくして昨日の朝から警部を悩ませていた一つの謎は、物知り上司によってあっさり解き明かされたのである。

「花咲かおじさんが西日本出身となると、ますます捜すのが困難になりますね。もしかしたら今現在も西日本に住んでいて昨日だけ東京に来ていたのかもしれません」
 二人になった室内で私はそう切り出した。
「そうだね…。実は今日午前中に色々動いてみたけど全部空振りだったんだ。あの公園周辺の地下鉄やJRの駅、バスとタクシー会社まで当たったんだけどね、花咲かおじさんを憶えている人はいなかったよ」
 そうですか、と私は警部に歩み寄る。まあ記憶に留めている者が誰もいなくても無理はない。ここは東京…しかも現場は新宿区だ。人間の数が違う。それにこの街ではお互いを干渉しないことが暗黙のルール。仮に警部くらい目立つ格好の人でも新宿通りを歩いて一体何人の印象に残るだろう。
「私の方はかなり収穫がありましたよ」
「そりゃ楽しみだ。では、報告どうぞ」
 いつものソファに腰を沈める警部。手帳を開いて私は始めた。まずは区役所でわかった大宮光路の生い立ちから。
「大宮さんはいわゆる孤児だったようでして…」
 幼い頃から施設で育ち学校にもそこから通っていた大宮。そんな逆境にも負けず彼は勉学に励み、優秀な成績で高校を卒業。その後はバイトと奨学金で大学にも進学し、それと同時に施設を出て一人暮らしを開始した。
「大宮さんが中学生の頃から彼を担当していた区役所のケースワーカーがいました。中田さんという女性で、時には仕事の枠を超えて面倒を見ていたようです。大宮さんもとても慕っていて、彼にとっては母親代わりだったようです。
 区役所で当時の中田さんの記録を見せてもらうことができました。寂しい生い立ちでも大宮さんは非行に走ることもなく、とても真面目な子供だったと書いてありました」
「ナルホド。でもそれならどうして誰も彼を捜していなかったんだろう。家族がいなかったとしても、友人とか恋人とか、学校の先生とか、施設のスタッフとか、その中田さんとか…人との繋がりはあったはずなのに」
「それがですね…」
 私はその辺りの事情も説明する。区役所には彼の転居届けが出されていた。その日付は18年前の3月、転居先は東南アジアとなっていた。そう、彼は大学を卒業した春に海外に旅立とうとしていたのだ。周囲にもそう言っていたため、彼が姿を消してもみんな予定どおり出国したと思っていたというわけだ。
「海外…それは仕事か何かで?」
「ボランティアのようですね。未開の土地で井戸を掘ったり、物資を運んだり…。まあ住所を移していたわけですから、少なくとも年単位でやろうとされていたようです」
「それで大宮さんは実際には出国していなかったわけ?」
「はい。出入国管理局にも問い合わせましたが彼が日本を出た記録は一度もありませんでした。ただしパスポート申請の手続きは終わっていたようです」
 警部はそこで右手の人差し指を立てる。
「となると、今まさに海外に旅立とうとしていたタイミングで失踪した…おそらくは亡くなったことになる」
「そうなりますね。だからこそ連絡がつかなくてもそれは海外にいるせいだと友人知人は思ったのでしょう。恋人でもいたらまた違ったんでしょうけど…」
「そういう存在はいなかった?」
 私は黙って頷く。警部も「そう」とだけ小さく返した。
「彼が一人暮らししていたアパートも家賃は払い終え、荷物もほぼ海外に送って部屋も片付いていたようです。当時の大家さんにも連絡してみましたが、てっきり彼は旅立ったものと思っていたそうです」
「中田さんには連絡してみた?母親代わりだったんなら、大宮産からずっと音沙汰がなければ何かアクションを起こしてそうなもんだけど」
「彼女は大宮さんが大学を卒業する半年前に病気で亡くなられているんです。当時でもかなりのご高齢だったようですから。もしご健在だったら、きっと大宮さんを捜索されたでしょうね」
 警部が「そういうことか…」と残念そうに言い、また前髪を指にクルクル巻き付け始めた。そのまま室内に訪れる沈黙。私も手帳を読み返しながら考えた。
 18年前の3月、海外に旅立とうとしていた大宮はその直前に何らかの災難に見舞われて桜の木の下に永眠することになった。一体彼の身に何が起こったというのか?
「色々調べてくれて助かったよ、ムーン。ちなみに歯科医の記録は見つかり総会?」
 やがて指を動かすのをやめて警部が言った。
「それも中田さんの記録にありました。大宮さんは時々村岡歯科医院という歯医者に通っていたようです。この歯科医院は現存していましたので、カルテが残っていないか調べてもらっています。歯形の記録があれば、すぐに遺体と照合してもらえるよう段取りしました」
「…了解」
 そこで警部が腰を上げる。
「それにしても…本当に誰もいなかったのかな、大宮さんを捜そうとした人は。海外にいると思っていたとしても、18年も音信不通だったら誰かが心配しそうだけど。私みたいなド変人だって、10年間雲隠れしたら捜してくれる親友はいる。君だって…そうでしょ?」
 警部に変人の自覚があったことにも驚いたが、その問いかけはそれ以上に私を困惑させた。
 親友…私にはいないかもしれないな。一緒に食事をしたりする相手はいても、心の底から語り合ったり、全てを打ち明けて相談できる相手はいない。私には私にしか見せていない私がたくさんいる。一人帰ったアパートの部屋で、頭からシーツをかぶって泣き叫んでいる私もいることを…この世界で知っているのは私だけだ。
 答えあぐねているのを察したのか、警部は言葉を続けた。
「大宮さんは真面目な人だったんだから…親友がいても不思議じゃないんだけどね」
「これも中田さんの記録に書いてあったんですけど、彼はどこか人と距離を置いているところがあったようです。協調性を乱すことはなくても、特定の親友は作らなかったと。口数も少なく、感情をあらわにすることもなく、自分で考えて行動する…そんな人だったようです。不遇な生い立ちから人と深く関わることを避けていたのかもしれませんね」
「そう…」
 再び室内に生まれる沈黙。私は警部の言葉がないのを確認して口を開いた。
「これからどうされます?」
「そうだね…もう少し大宮さんの生きた軌跡を調べてみようか」
 警部はまだ見つけられていないらしい…この事件を解き明かす『取っ掛かり』を。こんな時は関係者を当たってそれを探すのがいつものやり方。
「わかりました。彼が育った施設はすでになくなっていましたので、当たるとすれば…」
「人が育つ家以外の場所、学校さ」
 警部はそう言って歩き出した。

 警視庁を出て、大宮の通った大学・高校・中学を順に回る。そして当時の彼を知る教員から話を聞いたが…いずれも「真面目で物静かな生徒」「場を乱すことはないが周囲と深いつき合いもしない男子」といった印象だった。親しくしていた同級生や先輩・後輩に心当たりはないかとも質問してみたが、誰も思い当たらなかった。部活動にも所属していなかったらしい。
「あとは小学校か…」
 私の運転する車の助手席で警部が言う。
「中田さんが大宮産に関わり始めたのは彼が中学生の時からだったね。となると、小学生時代には記録にはない情報があるかもしれない」
「そうですね。もう午後6時ですが、どうします?これから向かいますか?」
「そうだね。学校の場所はわかるかい?」
「おそらく遺体が発見された公園の近くだと思います。記録によれば卒業した学校の名前は『五本桜小学校』です。ほら昨日、カレー屋の店員さんが電話でその名前を言ってたじゃないですか。きっと五本桜公園の近くですよ」
「ナルホド」
「今、カーナビで探しますね」
 私は車を路肩に停めてその学校名を入力した。しかし…出てこない。
「どうかしたかい?」
「おかしいですね、ありません。五本桜小学校というものは…存在していません。新宿だけではなく、都内全域で探しても見つかりません」

 警部と私はその足でキーヤンカレーを訪ねた。すると「いらっしゃい、あ、どうも」と昨日と同じバンダナの転院が迎えてくれる。
「お二人さん、またのご来店ありがとうございます。気に入って頂けましたか?」
「ええ、とても。ですが今夜は食べに来たわけではないんです。少しお伺いしたいことがありまして」
 そう言う警部に店員は怪訝な顔。私はそっと警察手帳を示した。
「刑事さん…だったんですか」
「そうなんです。私は警視庁のカイカン、こちらはムーンと言います」
「はあ…ぼ、僕は早川です。それで、何のお話でしょうか。あ、ちょっとこちらに来てもらっていいですか?」
 早川は私たちを控え室に導く。たくさんのお客の前で警察に質問されるのは気まずかったのだろう。
「突然どうもすいません。では改めてご質問なのですが、実は昨日五本桜公園で見つかった遺体の捜査をしてまして…」
 そう警部が切り出す。早川は明るい店員の顔から一変し神妙な面持ちで「はい」と返した。
「実はその遺体の身元を調べていくと、五本桜小学校の卒業生だということがわかったんです。それでその学校を訪ねようとしたんですが見つからなくて。でもふと思い出したんです、昨日あなたが電話でその学校の名前を口にしておられたのを」
 すぐにピンとこない様子の彼に私は「電話でお店までの道案内をされていた時ですよ」とアシストした。すると彼は手をポンと打って頷く。
「あーはいはい、確かに言ってましたね。でもあれは言い間違いです。五本桜公園って言おうとしてつい小学校って言っちゃったんですよ」
 私が「公園と小学校を言い間違えたのですか?」と問うと、早川は「はい、昔の癖で」とわずかに微笑む。警部が「昔の癖?」とくり返した。
「そうです、あの五本桜公園がもともと五本桜小学校だったんですよ。生徒数の減少とかで廃校になったんです。それからは少し改装工事をして、今の五本桜公園になってるんです。僕も卒業生だからつい昔の名前で呼んじゃって…」
 ナルホド、と頷く警部の横で私も納得する。
 そうか…あの公園が小学校だったのか。そういえばあの広さは運動場と考えればちょうどよいし併設していた多目的ホールももともと校舎の一部だったと考えればしっくりくる。どこか懐かしい憧憬を感じたのも、そこがかつて学校だったからなのだ。志賀老人が駄菓子と文房具の店を営んでいたのも、そこに通う生徒たちのためだったに違いない。
 私の中でいくつかのパズルのピースが組み合わさったように感じた。隣で警部も満足そうに微笑んでいる。そう、見つけたのだ…『取っ掛かり』を。少し身を乗り出して警部が言う。
「早川さん、貴重な情報ありがとうございました。ちなみに小学校が廃校になったのはいつ頃でしょうか?」
「ええとですね、確かあれは大学を卒業した春だったから…18年前です」
 私の脳を閃光が貫く。18年前…このキーワードに警部が反応しないはずがなかった。
「あの、失礼ですが年齢を教えて頂いてよろしいですか?」
「え、僕の年齢ですか?はい、今40歳ですけど」
 40歳…ということはひょっとしたらひょっとする。
「早川さん、大宮光路という名前をご記憶ありませんか?五本桜小学校の同学年にいたと思うのですが」
 急に重要人物となった店員は「大宮…」とくり返してからはっとしたように答える。
「はいはい、大宮くん。同じクラスでしたよ。確か…親がいない子で、施設から学校に通ってたので憶えています」
「今どうされてるかご存知ですか?」
「いえそこまでは…。同窓会で会ったのが最後だからかれこれ18年会ってません。確かしばらく海外に行くと言ってましたね」
 18年前の同窓会…情報は更なる展開を見せる。当然警部は詳細を尋ねた。それに圧倒されながらも早川は答えてくれた。
 彼によれば、18年前の3月に母校が廃校になるということで同窓会をしたのだという。彼らにとってはちょうど卒後10年に当たる22歳の時で、大学を出て社会人になるタイミングでもあったから集まりやすかったようだ。そこには大宮も来ていて、自分は東南アジアに行くと話していたらしい。
「もうすぐ部屋も引き払って旅立つと言ってたかな。みんなで頑張れってエールを贈ったのを憶えてます」
 これではっきりした。大宮光路はやはり18年前の渡航直前まで生きていたのだ。私は同窓会の日付を尋ねてみたが、3月下旬だったとは思うがさすがに何日だったかまでは憶えていないとのことだった。
 続いて警部が大宮がどんな子供だったかを質問していく。最初は戸惑っていた早川も、警部のテクニックによってだんだん懐かしそうな表情になり、穏やかに当時を語ってくれた。
「彼はかっこよくて、しっかりしてましたね…」
 大宮はやはり真面目で学業に優秀な少年、ただしちゃんと仲の良い友人もいてけして孤独ではなかったという。小学生の頃の彼はちゃんと明るく笑っていたのだ。
「大宮さんと特に仲の良かったお友達の名前、ご記憶ですか?」
「ええと、待ってくださいよ…何だっけな」
 バンダナを触って思い出そうとする早川。警部と私は固唾を呑んで見守る。
「野島…そう、野島くんです。あと一人女の子…小杉さん」
「そのお二人は先ほどおっしゃった同窓会には来てましたか?」
「ほぼ全員揃ったと記憶していますので、野島くんも来てたと思いますよ。小杉さんは…」
 早川が言葉を止めたので警部が「小杉さんは欠席でしたか」と促す。
「いや、彼女は…来たくても来れませんから」
 含みのある言い方だった。彼の瞳に悲しみの色が浮かんだのがわかる。
「小杉さんは亡くなったんです、卒業の少し前に事故で」
 警部が「事故?」とさらに促したが、早川からそれ以上語られることはなかった。沈黙を挟んで「辛いことを思い出させてすいません」と警部が謝罪すると彼は「いえ」とだけ返す。そして自分からも一つ質問させてほしいと言った。
「どうして大宮くんのことを調べてるんですか?もしかして公園で見つかった遺体って…」
 滞る室内。ドアの向こうからは、賑やかな店内の音がカレーの香りを含んだ空気と共に流れてくる。やがて警部が小さく「残念ながら、その可能性が高いんです」と答えた。それを聞いた早川は大きな落胆を見せた。
「いつ頃亡くなったんですか?それに海外にいたはずでは?どうして地面の中に…」
「まだ何もわかっていないんです。だからこうして捜査をしています…でもあなたが同級生だったとは驚きました」
「そうですか、じゃあよろしくお願いしますね」
 そこで大きく息を吐く早川。
「ハア…。特別親しかったわけじゃないですけど…やっぱり痛いもんですね、同級生の訃報を聞くのは。そうですか…大宮くん、亡くなったんですか。だったらせねて、天国で小杉さんと会えてたらいいな」
 その感傷的な言葉を最後に、早川への聴取は終了となった。

「よし、思わぬお土産ももらったしもうひと頑張りだムーン!」
 助手席の警部のテンションが高い。その理由は後部シートに置かれたあれのせいだ。店を出る時に早川が「差し入れです、捜査頑張ってください」と持たせてくれたお持ち帰り用のカレー。もはや車の中はその香りで充満している。
 …絶対臭いが残るな、これは。
「警部、落ち着いてください。間もなく到着しますから」
 向かっているのは白樺小学校。五本桜小学校が廃校になった時、統合された学校だ。生徒も教師もそちらに移ったと早川が教えてくれた。問い合わせたところ、当時の大宮を知る女教師が今もいるとのことだったので、遅い時間ながらお邪魔することにしたのだ。
「ムーン、もう少しで全貌が見えそうだと思わないかい?五本桜公園が五本桜小学校だとわかって、見えていた景色が一気に変わったよ」
「そうですね。つまり大宮さんは母校の校庭だった場所に埋められたことになります。これは偶然じゃないですよね。それに彼の死亡時期も、18年前の3月下旬…同窓会から出国までの間だとはっきりしました」
 そこで警部は右手の人差し指を立てる。
「もちろんそれもある。でもね、現場が学校だったとわかってこの事件の最初の謎が解けそうじゃないか」
「…何ですか?」
「いいかいムーン?五本桜小学校という名前から考えても、公園にあった五本の桜はそこが学校だった頃からあったものに違いない。花咲かおじさんが一体何を掘り出そうとしていたのか、どんなに考えてもわからなかったけど…そこがもともと学校だったとすれば有力候補が浮かぶじゃないか」
 まさか…。
「校庭の片隅の木の下に埋まっている物といえば?」
「タイムカプセルですか」
 私が即答すると、警部は立てていた指をパチンと鳴らした。
「そのとおり、冴えてるねムーン!こりゃ将来有望だ」
 嬉しそうに言う上司の隣で私は密かに溜め息を吐く。すぐに思い浮かんだのは別に冴えていたわけではない。ここ最近ずっとそのことを考えていたからだ。
 …ハア、タイムカプセルか。よりにもよって。
 神様の意地悪を感じながら私はハンドルを切った。

 白樺小学校、通された応接質のソファで警部と私は里見教頭に面会する。
 彼女は五本桜小学校に勤務していた当時、大宮のいた6年1組を担当していたという。警部は白骨遺体が大宮であったことを最初に告げ、その死の真相を解明するために彼を知る人間を回っていると説明した。気品漂う初老の教師は教え子の死にやりきれなさを語り、事件の早期解決のために協力を惜しまないと言ってくれた。
「大宮くんは本当に真面目な子でした。可愛そうな生い立ちでも卑屈になることもなく、何にでも一生懸命でした。授業参観で見に来る親がいなくてもしっかり手を上げて…」
「野島くんと小杉さんという生徒と特に仲が良かったと聞いたのですが」
「そうでしたね、確か三人は同じ部活だったんじゃないかしら。ゲームクラブっていって、色々なゲームを三人で考えては楽しそうにやってました」
 しばし里見の思い出話を傾聴する。一段落したところで警部が「随分昔のことなのにしっかり憶えてらっしゃいますね」と感想を述べた。
「昔…そうですね、あのクラスが卒業してもう28年ですものね。でも私にとっては昨日のことのように鮮やかなんです。教師になって初めて担任をしたクラスだからなおさら印象深いのだと思います」
 少し沈黙を挟んでから彼女は続けた。
「小杉さんが亡くなったことは私にとって生涯忘れられないことです。卒業式を目前にした…2月の14日でしたね」
「バレンタインデーですか」
「ええ。今でも憶えています。その日は土曜日で、小杉さんは夕方誰かと待ち合わせをしていたんです。きっと相手は男の子でしょうね。息を弾ませて、チョコレートを持って出掛けていったとお母さんもおっしゃっていました」
「小杉さんはどうして亡くなられたのですか?」
 警部の低い声が室内に重たく響く。里見は少し目を伏せた。
「彼女は…線路脇のフェンスの前に立っていたんです。フェンスには大きな看板が貼られていて、目印にもなるから子供たちはよくそこを集合場所にしていたようです」
 行き交う電車を背景に、フェンスの前に立って好きな男子をドキドキしながら待つ少女の姿が浮かぶ。
「でも…その看板が外れてしまって、後ろから彼女に倒れてきたんです。小杉さんは下敷きになって…通行人が発見して救急車を呼んでくれたんですけど…」
 里見の目尻に涙が浮かぶ。彼女はすぐにそれを手で覆い、声を詰まらせながら「小杉さんの手にはしっかりチョコレートが握られていたそうです」と搾り出した。
 …痛ましい事故だ。早川が語りたがらなかったのも無理はない。私は膝の上の拳を強く握る。
「ごめんなさい…ダメね、何年経っても思い出しちゃうと」
 警部は「こちらこそごめんなさい」と伝えた上で、それでも質問を続けた。辛い記憶を掘り起こすことになったとしてもこれが私たちの仕事なのだ。
「先生、その待ち合わせの相手というのは…」
 彼女はゆっくり首を振る。
「わかりません。おそらく同級生の誰かだったんでしょうけど、小杉さんがあんなことになって…その子も言い出せなかったんでしょうから、私たち教師も無理に特定しようとはしませんでした。あの時は悲しみを乗り越えて子供たちが無事に卒業することだけに心血を注ぎましたので」
 …それも当然か。警部は小さく「ナルホド」と言い、大宮が待ち合わせの相手だった可能性について確認した。
「それはありません。私たちも小杉さんの待ち合わせの相手は大宮くんか野島くんのどちらかじゃないかと考えました。仲が良かったですからね。でもその時刻二人は野島くんの家で一緒に遊んでいたんです」
 つまり待ち合わせの相手は野島でもないということか。女教師はそこで言葉を止め虚空を仰いだ。

 …遠い昔に起こった一人の少女の死、それは30年近く経過した現在でも多くの人の心に消えない傷を残していた。

 警部の依頼で里見は当時の卒業アルバムを持ってきてくれた。学校が変わっても、自分が担任したクラスのアルバムは全て保管しているのだという。受け取った警部が大きなページをめくっていくと、見開きで6年1組の集合写真が現れる。
 あの五本の桜を背景に、男子が後列に立ち女子が前列で椅子に座って並んでいる。30人ほどのクラス…その隣にはまだ新人教師であった頃の里見の姿もある。緊張している子もいたが、ほとんどの生徒が笑っている。里見もとびきりの笑顔を見せている。
「写真は二学期に撮影したので、小杉さんも写っていますよ」
 懐かしそうに言う里見。ページの下には生徒たちの名前が写真の位置に対応するように並んでいた。私も覗き込んでその名前を探す。
 …小杉篤実(こすぎ・あつみ)、見つけた。対応する写真を見ると、髪を肩まで伸ばした可愛い少女が少し照れたように笑っていた。待ち受ける自分の運命など知る由もない無垢な微笑み…ぎゅっと胸が絞め付けられる。
「これが…大宮さんだね」
 警部が指差す。大宮光路は凛々しい顔立ちの少年だった。彼は小杉さんの右後ろで自信に満ちた表情をしている。孤児である生い立ちなんて全く感じさせもしない。そして彼と数人を挟んで立っていたのが野島武(のじま・たけし)…二人と親しかった生徒だ。大宮より頭一つ背が低く、人のよさそうな垂れ目。
 …あれ、この顔。それにこの名前ってもしかして…?
 はっとして隣の警部を見たが、上司は何も気付かないように「ほらここ、これが野島さんだね。とっても幸せそうな顔」と笑うだけだった。
「野島くんは転校生だったんで4年生から五本桜小学校に来たんですけど、すぐにみんなに溶け込みました。その年頃の子供たちには隔たりなんてものはないんでしょうね」
 里見が優しく言う。
 …隔たり、か。確かにそうかもしれない。人間は意識的にしろ無意識的にしろ、大人に近付くほどそれを生み出してしまう。勉強や運動の能力、容姿や性格の良し悪しに関係なくお互いを受け入れることができるのは…小学校までかもしれない。
 そんな個人的な私の感傷はよそに、警部は言った。
「野島さんは転校生でしたか。ちなみにどちらから?」
「確か…山口県だったと思います」
 里見の返答に私の緊張が高まる。まさか…。
 しかし警部は話題を野島から逸らし、「ほらここ、早川さんもいるよ」「この頃は桜もきっと毎年咲いていたんだろうね」などの感想を述べ続けた。

 その後部活のページも見たが、里見の言ったように大宮と野島と小杉さんの三人はゲームクラブとして仲良く写っていた。だが警部はそこでも野島については言及せず、「ほらここ、料理クラブで早川さんがカレー作ってるよ。フフフ、人間って変わらないもんだね」と微笑むのみだった。

 里見との面会の最後に、警部はクラスでタイムカプセルを埋めなかったかと尋ねた。彼女は五本桜小学校ではそういう習慣はなかったと答えた。まあ仮にあったとしても、小杉さんの事故の後ではそんな雰囲気にもなれなかっただろう。
 お礼を言って警部と私は校舎を出る。ふと見ると校庭の片隅にはプラタナスの木が植えられていた。
 …神様、いい加減にして。
「どうかしたかい?」
「いえ、何でもありません。それより警部、野島武さんの写真を見て思ったんですけど…」
「うん、似ていたね。顎の傷こそなかったけど…花咲かおじさんの似顔絵に」
 やはりこの人も気付いていた。
「しかも山口県出身です。花咲かおじさんは西日本で暮らしていたという推理にも当てはまります」
「そういうことになるね」
「警部があの場でそれをおっしゃらなかったのは里見先生への配慮ですか?」
「そんなところかなあ。本当は似顔絵を見てもらって確認すべきなんだけど、教え子が二人もなくなった話をした後じゃさすがにね。もし遺体を発見したのが野島さんとなれば…大宮さんの死に関与している可能性も出てくる」
 そこで警部は自嘲的に笑った。
「フフフ…まだまだ未熟だね、私も。中途半端な刑事だなあ…」
 独り言のようにも聞こえたので私は何も返さなかった。本当にごく稀ではあるけれど、この人の人間らしさみたいなものが見え隠れする時がある。ボロボロのコートとハットの中にいるのはド変人などではなく、ただの一人の人間なのかもしれないと。
 もしかしたら私だけではないのかもしれない、自分しか知らない自分を誰にも見せずに生きているのは。
「まあ里見先生に訊かなかったのは、訊かなくても花咲かおじさんの正体には辿り着けそうだからでもあるけどね」
 急にいつもの調子に戻って警部が言う。よかった、ウジウジされても面倒なんて見れないから。
「野島武という名前、確か交通課がくれた一覧表にもあったよね?」
「はい、私もそう思いました。書類は車に置いてありますので急いで確認しましょう」
 午後8時、周辺の住宅街は夜の静けさに包まれている。校門前に停めた車に乗り込み、ダッシュボードからその一覧表を取り出すと急いで目を通していく。
 …あった。野島武、生年月日も大宮と同級生。
「警部、間違いなさそうですね」
「それだけじゃない、ほらここムーン…野島さんが交通事故に遭った日時」
 示された箇所を読んで私は叫びそうになる。
「18年前の3月21日、これって…」
 そこでまたポケットから取り出した昆布をくわえて警部が言った。
「そう、大宮さんが失踪した時期と同じだ。しかも見てごらん、事故の概要を」
 そこには『午前1時15分頃、歩行中に車道に飛び出して走行中の乗用車に接触。被害者は同窓会からの帰りで飲酒していた。』と記されていた。
「警部、これって…」
「そう、早川さんが話していた同窓会だろう」
 低い声が車内に響く。
 一体どういうことだ?
 大宮と野島は小学校の同級生で友人。昨日公園の桜の下から発見されたのは大宮。その遺体を掘り出したのは野島。18年前の3月、海外に旅立つ直前に大宮は失踪。そしてそれと時を同じくして野島が交通事故に遭っている。しかも、大宮も参加していた同窓会の帰り道で。
 それだけではない。大宮の遺体が発見された公園はもともと彼らの母校の小学校で、ちょうどその同窓会があった3月に廃校になっている。
 さらにその10年前には、二人と仲の良かった小杉篤実という少女が不慮の事故で卒業直前に命を落としている…。
 わからない、一体何と何が関係していて何と何が無関係なのか?どこまでが偶然でどこからが必然なのか?
「警部…私には何が何だか」
 黙って口先で昆布を動かしていた上司は、それをポケットに戻すとシートベルトをしながら言った。
「私もだよ。まだまだストーリーが見えてこない。やっぱり会いにいくしかないね」
 黙って頷くと、私もシートベルトをしめ車を発進させる。そして一覧表にある彼の住所をしっかり頭に記憶した。

■第三章② 〜?〜

 俺は時計を見た。3月2日も無事終わろうとしている。今日は仕事にも行ったし、警察が訪ねてくる気配もない。このまままたいつもの生活に戻ればそれでいいんだ。
 風呂から上がって服を着ると水道の水を飲む。まだ酒を飲む気にはなれない。テレビをつけてみたが、特に公園の遺体に関する新たな報道はなかった。天気予報ではもうじき桜前線が東京にも繰ることが告げられ、卒業を心待ちにする子供たちの姿が映し出される。
 卒業式、もうそんな時期なんだな。
 …「卒業しても三人ずっと仲良くしようね」。
 そういえば篤実はよくそんなことを言っていたな。
 彼女のあどけない笑顔が浮かぶ。
 なあ篤実、お前がいない卒業式はもう淋しさしかなかったよ。未来なんて見えなかったよ。お前がいなくなって俺と大宮は…。
 いやもうやめよう、考えるのは。こんな時はさっさと睡眠に逃げ込むに限る。

 …ピンポーン。
 テレビを消して寝室に向かおうとした時、インターホンが鳴った。時刻は午後9時を回っている。誰だこんな時間に。
「はい、どちら様?」
 玄関のドア越しに不機嫌な声を投げる。すると低くよく通る声が返ってきた。
「夜分にすいません、警察です」
 警察?まさか…。背中に冷たいものが走る。
「野島武さんですね。少しお伺いしたいことがあるのでお時間頂けませんか?」

■第四章① 〜ムーン〜

 ドアが開いて現れたのは似顔絵を髣髴とさせる人物だった。小柄で、垂れ目で、そして顎には古傷…。間違いない、志賀老人が目撃したのはこの男だ。
「どうも、本当にこんな時刻にすいません。野島さんですね?私がカイカン、そしてこちらがムーンです」
 警部に紹介され私は会釈する。野島は疑心に満ちた瞳で私たちを交互に見た。
「何かの冗談ですか?」
無理もない、警部の格好は言うに及ばず名乗った名前も奇妙極まりない。「いえいえ、真面目な捜査です」と説明する上司の隣で私も警察手帳を示した。
「それで…俺に何の用ですか?」
「おわかりなのではありませんか?」
 警部がカマをかける。野島は不機嫌そうに「さっぱりわかりませんが」と返した。
「そうですかね。昨日の朝7時過ぎ、南新宿にある五本桜公園で土の中の遺体を発見したのは野島さん…あなたですよね?」
 男の表情がこわばり瞳が泳ぐ。しばらくして「違います…俺は知りません」と言ったその声は明らかに動揺していた。
「目撃情報を元に作った似顔絵はあなたにそっくりですよ。あなたが28年前に五本桜小学校を卒業していること、遺体が見つかった公園がその小学校だったことも調べはついています」
「俺じゃ…ありません」
「そうですか。では野島さん、ところでこれは何でしょう?」
 そこで警部は先ほどホームセンターで購入した物を見せる。コートのポケットから取り出されたそれを野島はまじまじと見た。
「このスコップが何か?」
「スコップ?これはシャベルでしょう」
 警部が見せたのは西日本で言うところのスコップだった。
「何を言ってるんですか刑事さん。シャベルってのはもっと大きい物でしょう」
 まさかこの話が捜査に役立つことになるなんて。野島が警戒なく答えてしまうのも当然だ。
「フフフ、実はシャベルとスコップには面白い話がありましてね」
 警部はビンさん直伝の雑学を披露する。そして、現場で目撃された人物もシャベルとスコップについて西日本式の認識をしていたことを説明した。
「いかがです?やはり公園で目撃されたのはあなたです。もう認めて頂けませんか」
「知りませんって。西日本出身の人なんて世の中にいくらでもいるでしょう。俺じゃありません」
 内心の狼狽を隠すように語調を強める野島。警部はここでさらなる一手を打った。
「であれば指紋採取に応じて頂けませんか?実は現場に残っていたシャベルから指紋が検出されているんです。穴を掘っていたのがあなたではないのなら、指紋は一致しないはずですから」
 野島の顔は真綿で首ウを絞められているように苦悶の色を強めていく。警部の低い声がアパートの廊下に響く。
「野島さん…いかがですか?」
 よし、もうひと押しだ。
「別にあなたを逮捕しようというのではありません。遺体の第一発見者として、お話を伺いたいだけです」
「わかりましたよ…警察に行きます」
 そこで観念したように野島が言った。

 警視庁までの車中、野島は一言も発しなかった。重要参考人を連行する車の中がカレーの香りというのも大きな問題だが。
 駐車場に車を停め、三人で夜間通用口から入る。すると廊下の向こうから歩いてくるのは…彼女だ。私服であることから退勤するのだとわかる。ポニーテールも解いて髪を下ろしていた。彼女もこちらに気付く。
「あ、氏家巡査、お疲れ様です。昨日は色々助かりました」
 警部が声をかける。彼女は野島を一瞥し、そして私には一切の視線をくれずに「ご苦労様です、お先に失礼します」と如才ない挨拶をして通り過ぎていった。
 胸の奥が鈍く痛む。気にするな、気にするな。明日を過ぎれば全てが過去になり、こんな気持ちもいずれ忘却の波にさらわれていくはずだ。

 取調室、野島と私たちは机を挟んで対面する。警部が「何か飲みますか?」と尋ねたが彼はそれにも無反応。ひとまず私は三人分のコーヒーを用意する。渡したそばから警部が口をつけ、「濃すぎ、このコーヒーは味が濃すぎるよ」と顔をしかめる。そして野島にも「気を付けて飲んでくださいね」と伝えるのだが…これも完全無視。
「まあそう緊張されずに、私たちは何もあなたを捕って食べようというのではありません。ただ事実を知りたいだけです」
 警部が明るく切り出したが室内の空気は重い。反応がないので警部がさらに続ける。
「昨日の朝、五本桜公園の土の中から白骨遺体が発見されました。発見した男性は間もなくそこから姿を消しました。それは野島さん、あなたですね?」
 …沈黙。野島は顔を伏せ床を見つめている。警部が「やはり指紋を照合しますか?」と言うと「いいです、俺です」と投げやりに返された。
「あなたが穴を掘り、あの白骨遺体を発見した。間違いないですね?」
 無言で頷く野島。おそらく警部は遺体が大宮であることをあえて言わないように話している。私も気を付けなければ。
「それではお尋ねします、あなたはどうして穴を掘っていたんですか?そこに遺体があるとご存じだったので?」
「まさか!」
 ようやく彼は顔を上げた。
「そんなの…知っているわけないじゃないですか」
 警部は黙って相手を見つめる。言葉の真偽を見極めているのだ。私の心象としては、嘘は言っていないと思う。彼は遺体を見つけて腰を抜かしている姿を目撃されている。志賀老人が散歩に来ることまで計算して演技したとはさすがに思えない。
「では、あなたは何を掘り出そうとしていたんですか?」
 と、警部。
「遺体を見つけたのが偶然ならば、あなたが穴を掘ったのには別の理由があったはずですよね。それがはっきりすればこちらもすっきりするのですが…」
 野島は「個人的なことです」と再び視線を逸らす。警部は右手の人差し指を立てた。
「これは私の推測ですが、あなたは…タイムカプセルを掘っていたのではありませんか?」
 彼の体がこわばったのがわかる。警部もそれに気付いたようで、「やはりそうでしたか」と小さく言った。そしてまだ何も肯定していない相手に推論を投げかけて行く。
「タイムカプセルを埋めるのは大抵卒業の時です。しかし6年1組ではそんなことはしませんでした。となるとあなたは友達同士で自主的に埋めたのではないでしょうか?」
「どうしてクラスで埋めたのではないとわかるんですか?」
 野島が視線を戻して尋ねた。この言葉により、タイムカプセルを埋めたことを暗に肯定したことになる。
 警部は「当時担任だった里見先生に教えて頂きました」と答え少し微笑む。
「野島さん、あなたはタイムカプセルを掘っていた。かつて友人と埋めたタイムカプセルを。これも里見先生にお伺いしたんですが、あなたと仲が良かったのは大宮光路さんですよね。彼と…埋めたのではありませんか?」
 そこで野島は大きく溜め息を吐く。
「…参りました、警察っていうのはなんでも調べられるんですね。そうです、卒業式の前に大宮と二人で埋めたタイムカプセルです。俺たちは別々の中学に行く予定でしたから。あいつは地元の公立、俺は少し離れた私立に」
 ついに野島の口から大宮の名前が出た。大宮は成績優秀だったというから、もしかしたら彼も本当は私立に行きたかったのかもしれない。しかし孤児で施設暮らしの身の上ではそれは叶わぬ願いだっただろう。もちろん私立に行くことが幸福に繋がるとは限らないが。
「ガキですよね、タイムカプセルなんて…」
 ようやく口元を緩めた野島に警部は「いえいえ」と返し、立てていた指を下ろす。そしてどうして28年も経過した今になって掘り出しに行ったのかと尋ねた。
「大宮とは親友でした。だから卒業前に二人だけでタイムカプセルを埋めたんです…将来一緒に掘り出す約束をして」
 胸の奥がまた鈍く痛むのを私は感じた。
「でも…結局そのままになってしまっていて。忘れてたんです、ずっとそのことを。だけど一昨日カレンダーを見てタイムカプセルのことを思い出して…それで掘りに行ったんです」
 警部が「カレンダー?」と反復する。
「ええ。タイムカプセルを埋めたのは2月の最終日でしたから。日曜日の学校に忍びこんで、五本あるうちの真ん中の桜の根元に二人で穴を掘って…」
 そこで野島は淋しそうな瞳になる。
「タイムカプセルを掘りに行ったのに、まさか白骨が出てくるなんて思いませんでした」
 彼は…本当に知らないのだろうか?自分が見つけたその遺体が大宮であると。
「タイムカプセルは見つかったんですか?」
 警部の質問に彼は首を振る。
「いいえ、ありませんでした。場所は間違ってないはずなんですけどね、まあ28年も前の物ですから…」
 桜の下に掘られた穴はかなり大きかった。見つからなくてどんどん掘った結果だとすればそれも筋は通る。やはり野島の言って居ることは本当ということか。
「正直に話して頂いてありがとうございました」
 警部が頭を下げる。私もそれにならった。
「こちらこそすいません、通報もせずに逃げてしまって…。なんか怖くなっちゃったんです」
 穏やかに言う野島。そしてようやくコーヒーに口をつけた。
「大宮さんとはゲームクラブだったんですよね?」
 空気が和んだところで、警部はいつものテクニックで会話を続ける。野島も懐かしそうに大宮との思い出を語ってくれた。その微笑みには、卒業アルバムの中で幸せそうに笑う少年の面影が確かにあった。

 野島の思い出のページが一通りめくられたところで、警部が次の段階の質問に入る。
「そういえば卒業して10年経った3月に同窓会があったそうですね。そこにはあなたも大宮さんも出席されたと聞きましたが」
 野島が目を見開いて驚愕の顔をした。そしてカップを置いてからやれやれといった感じで苦笑いする。
「驚きました…警察は本当にすごいですね。そんなところまで調べているなんて」
「実は公園の目撃情報からあなたまで辿り着けたのは、失礼ながらその顎の古傷のおかげなんです。同窓会からの帰り道、あなたが交通事故に遭われたという記録が警察に残っていましてね」
「そういうことでしたか。いやあ、久しぶりに仲間と会ってきっと飲み過ぎたんでしょう。あれ以来、酒は控えてるんです」
 自嘲的に笑う野島。警部が落ち着いた声で「同窓会では大宮さんともお話をされたんですか?」と尋ねた。
「そうですね…小学校を卒業してからほとんど連絡を取っていなかったんで懐かしかったです」
「仲が良かったのにどうして連絡されていなかったのですか?」
「どうしてと言われても…そうですね、やっぱり学校が別々だと疎遠になりますよ。お互い中学で新しい人間関係が楽しくなったんでしょう」
 野島はそうだったのかもしれない。しかし今日警部と回って調べた限りでは、大宮の方はけして新しい人間関係を楽しんでいた様子はなかった。しかし警部はそうは言わず次の質問に移った。
「同窓会で彼は何かおっしゃっていましたか?」
「さすがに憶えていませんが…何日か後にはもう出国するとか言ってたかな」
 そこまで答えて野島はふと気付いたように言葉を止める。そして再び疑心に満ちた瞳で私たちを交互に見た。
「刑事さん…なにかおかしくないですか?どうしてそんなに大宮のことばかり訊くんです?これは…俺についての聴取ですよね?」
 警部は沈黙を返す。私も口をつぐんだ。
「里見先生からも話を聞いたって言いましたよね?どうしてそんな…」
 そこで野島は小さく「まさか」と呟き、さらに眼光を強めた。
「まさか、あの白骨が…?」
 だんまりの警部に野島は身を乗り出して言う。
「刑事さん、答えてください!あの白骨が…大宮なんですか?あいつが死んだんですか?お願いします、教えてください!」
 必死の懇願だった。警部は静かに息を吐くと、壁に染み入るような重たい声で答えた。
「…残念ながら」
「そんな!」
 今までで一番大きな声を発すると、はじかれた様に野島は後ろにのけぞり椅子にもたれて脱力した。その瞳は虚ろに虚空を見つめている。そんな彼に警部は無言の視線を送る。
「そうですか…大宮が死んだんですか、そうですか」
 うわ言のようにくり返す彼に、警部は「すいません、黙っていて」と告げた。
「非常に奇妙な事件です。28年前、あなたと大宮さんがタイムカプセルを埋めた場所から大宮さんの遺体が発見された。しかもそれを見つけたのはあなたです」
 そう、言うなればタイムカプセルが大宮の遺体に入れ代わったことになる。そんなことが有り得るか?いや実際に起こっているわけだけど。一体誰が何のためにそんなことを…。
 私はまだ見ぬ犯人を想像してぞっとした。
「刑事さん…大宮はどうしてそんなことに?」
「まだわかりません。でもあなたからお話を聞いてまた一歩解決に近付いたと思います。大丈夫、約束しますよ。必ず真相を突き止めます」
 そう言って頷いた警部に野島はふっと笑った。警部が「何か?」と尋ねる。
「いや、約束って聞いてつい…。大宮も絶対に約束を守る奴だったなあって」
 そこでコーヒーを飲み干すと野島は真剣な面持ちで言った。
「刑事さん、よろしくお願いします。あいつは不幸な生い立ちだったのに人一倍真面目で思いやりのある奴でした。だから海外ボランティアにも行こうとしてたんです。お願いします、あいつの無念を晴らしてやってください」
 座ったまま深々と頭を下げる彼に、警部と私も黙って礼をした。

 それを最後に聴取は終了となる。明日も仕事だと言う彼をアパートまで送るよう警部は私に指示した。そう、またあのカレーの香りのする車で。

 野島を送って警視庁に戻った頃には0時を回っていた。私は車に置いたままにしていた二人分のカレーを持っていつもの部屋に入る。
「やあムーン、お疲れ様」
 ソファにいた警部が明るく言う。
「警部こそお疲れ様です。…これ、召し上がりますか?」
 私が持ち上げて袋を示すと「もちろん」と無邪気な声が返される。
「君も食べたら?晩御飯まだでしょ」
「さすがにこの時間にこんな重たい物は…。私はコンビニでパンを買ってきましたので」
 そんな会話をしながらお互い遅過ぎる夕食にありつく。警部は冷め切ったカレーを嬉しそうにほおばった。
「やっぱりおいしいね、キーヤンカレー。しかも一つはちゃんと激辛にしてくれてるのが素晴らしい。君には甘口の方を残しておいたから安心して」
「どうも」
 一応そう答える。そしてしばらく無言でエネルギーを補給したところで私から切り出した。
「野島さんのことはどう思われましたか?」
「そうだね…言って居ることは一応筋が通っていたと思うよ」
 警部もスプーンを止めて言う。
「遺体が大宮さんだったことを伝えた時も、本当にショックを受けている様子だったしね。あれは…演技ではないと思う」
 そうですね、と私も同意する。警部に遺体は大宮だったのかと詰め寄った時の野島は…そうでないことを心底祈っているようだった。
「気になったとすれば…」
 と、警部が右手の人差し指を立てる。
「小杉さんのことに彼が一切触れなかったことかなあ。ゲームクラブのことや大宮さんの思い出話はたくさんしていたのに、そこに一緒にいたはずの彼女の話題は出なかった」
「確かにそうですね。でも、今回のこととは関係ないからあえて言わなかったのかもしれませんよ。それに辛い記憶でしょうし…」
「まあね。でも私が聴取の前にコーヒーを飲んで『濃すぎ』と言った時、彼はかすかに反応したんだ。咄嗟に『小杉』と思ったんじゃないかな。
 …つまり彼の心には、そんなふうにすぐ出てくる所に彼女がいるってことだ。それなのに全く口にしなかったのは…どうしてだろう」
 この人はそんな方法でも相手を見定めていたのか。…恐るべし。
「ゲームクラブの仲良しの三人。野島武、大宮光路、そして小杉篤実…彼らはお互いにどんな感情を抱いていたんだろうね」
 そう投げかけたまま警部は再び黙り込む。一人の少女の死…それがこの事件にも関係しているのだろうか?
 そのまま沈黙し、指を下ろすと警部はカレーの残りを食べ始めた。

 午前0時半。食べ終わった容器をゴミ箱に捨てると、警部はホワイトボードの前に立った。
「この事件の最初の謎は、花咲かおじさんは何を掘り出そうとしていたのかということだった。でもそれはタイムカプセルで説明がついた」
 事件の話が再開されたので私も慌てて腰を上げる。
「そして今目の前にはまた新たな謎が並んでいる。ムーン、悪いけど板書してくれるかな」
 わかりました、と私はマジックを取りホワイトボードに向かう。
「まず①、大宮さんを殺害したのは誰か?そして②、その人物が大宮さんを殺害した動機は何か?」
 急いでペンを走らせる。私が追いつくのを待って警部が「③、どうして桜の木の下に遺体を埋めたのか?」と続けた。
「特に不可解なのは③だよ。新宿の公園が遺体を隠すのに適した場所とは思えないからね」
 書き終えて私も言う。
「そうですね。本気で遺体を隠すのなら、人の行き交う場所ではなく山の中とかに埋めるはずですから」
「わからない、どうしてわざわざあんな場所に?」
 私はふと浮かんだ可能性を口にする。
「大宮さんが殺害されたのは18年前の3月末です。その頃は小学校も廃校になり、校庭を公園に改装する工事も始まっていたはずです。となると犯人は、その工事現場の中に遺体を紛れ込ませようとしたのではないでしょうか」
 警部が「ナルホド」と返す。しかしすぐに反論に転じた。
「でもねえムーン、だとしたら余計に危険じゃないかい?これから工事でどこをどう掘り返されるかもわからない場所に遺体を埋めるなんてさ」
「公園の名前は五本桜公園です。きっと学校から公園になってもあの桜は撤去しない計画だったんですよ。となれば桜の根元は掘り起こされる可能性は低い…と犯人は考えたのかもしれません」
 自分で言って居てはっとする。そうだとしても犯人がわざわざ公園を選ぶ理由はない。それこそ山の中に埋めた方がずっと安全だ。
「すいません警部、無理がありますね」
「いやいやいい感じだったよ。君もだいぶ論理が巡るようになったね」
 警部は微笑む。そして「じゃあこんなのはどう?」と別の説を唱えた。
「犯人が大宮さんを殺害してしまった場所がたまたまあの公園だった。だから犯人は遺体をその場に埋めて逃走した」
「それは有り得ますね。しかし…犯人と大宮さんはどうして工事中の公園にいたのでしょうか?それに人間一人を埋める穴を掘るというのはかなりの作業です。犯行後に現場から立ち去りたい犯人が時間をかけて穴を掘るのは不自然ではないでしょうか」
「そうだね。それに掘るにしてもせめてもっと目立たない場所に掘るはずだ。公園のシンボルである桜の下にあえて遺体を埋める理由がない。待てよ?桜の下には遺体がある…という都市伝説に見立てたのかな?」
 今度は私が反論を述べる。
「見立て殺人なんて推理小説の世界ですよ。それにそんなことをする犯人は注目を浴びたいはずです。この遺体は18年も発見されなかったわけですから見立てにはなっていません」
 警部はまた嬉しそうに「そのとおり」と言った。その後もいくつかの説を挙げたが、結局犯人があえて遺体を公園の桜の下に埋める論理は出て来なかった。
「そういえば28年前に野島さんと大宮さんが埋めたタイムカプセルはどこにいったんでしょう?犯人が持ち去ったんでしょうか」
「そうだね、じゃあそれを④にしておこうか」
 私は再び板書する。
「そうそう、その28年というのもどうも気になるんだ。どうして野島さんは28年後の今になってタイムカプセルを掘ったんだろう」
「カレンダーを見て思い出したとおっしゃってましたが…」
「でも2月は毎年来るわけだしね。何か28年という数字に意味があったのかな?」
 ことさら重要なポイントにも思えなかったが、私は「それを⑤にします?」と尋ねる。
「そうだね、じゃあよろしく。あとついでにもう一つ」
 警部は「勘違い化もしれないけど」と前置きして言葉を続けた。
「里見先生に見せてもらった卒業アルバム、あの中の集合写真を憶えてるかい?」
「はい。大宮さんと野島さん、それに小杉さんも写っていましたね」
「そう。校庭に並んで撮った写真だったけど、背景の桜がどうも今と違う気がしたんだ」
 思いもよらぬ着眼点だった。
「今と違って葉が茂ってましたけど、ちゃんと五本並んでましたよ」
「うん、確かにそうだ。でもね、写真では一番右の木が最も背が高かったのに、昨日公園で観た桜は一番左の木が最も背が高かった気がするんだ」
 …さすがに考え過ぎではないかと思う。28年も経てば木の高さや枝ふりだって変わる。実際写真では茂っていた葉が今の桜にはもうないわけだし。
「それを…⑥にします?」
 一応尋ねた私に、警部は「おまけでよろしく」と言った。やれやれとは思ったが『⑥どうして桜の高さが変わったのか』と板書してペンを置く。
「こんなところですかね」
 そう言ってホワイトボードから一歩後ろに下がり、改めて記された六つの疑問を読み返してみる。
 大宮を殺害したのは誰か、その動機は何か、どうして遺体を桜の下に埋めたのか、大宮と野島のタイムカプセルはどこに消えたのか、どうして野島は28年後の今になってタイムカプセルを掘ったのか、どうして桜の高さが変わったのか…。
 果たして可能なのだろうか、これら全てに正しい回答をすることは。
 私はまたそう思ってしまう。しかしこのミットに配属されてからの2年間、手のつけられないような謎でも捜査の末にやがて解き明かされていくのを私は何度も目にしてきた。
 隣を見る。警部は無言の視線をホワイトボードの文字に注いでいた。
 …そう、この異様な格好をした天才によって、全てはいずれ明らかになるのだ。

 十五分ほどその場で考え込んでいた警部だったが、そのまま何も言わず自分のデスクに戻った。そのタイミングで私も動き、二人分のインスタントコーヒーを用意する。
「どうぞ、警部。激辛カレーの後には微糖のコーヒーでしたよね」
「さっすがムーン、お見事」
 こういう『いかにも女の仕事』というのはあまりしたくないが、幸いこのミットではそのストレスは少ない。あくまで部下として、新人としてコーヒーを入れただけだ。おいしそうに飲む上司を見ながら私もカップを持ってデスクに腰を下ろす。
「苦戦されてますね」
「まあね。今回の事件の難しさは長い年月にまたがっていることだ。いいかいムーン?時が経てば経つほど物的証拠はなくなっていく。関係者の記憶も薄らいでいく。つまりその分推理で補わなくちゃいけない部分が大きくなるんだ」
「…はい」
「この事件は、密室とかアリバイとかっていうトリックを解き明かすわけじゃない。これまでに見聞きした情報を一本のストーリーに繋げることができるか…それが命題だ」
 そう言って警部はまた一口コーヒーを飲み、壁の時計を見た。
「もう1時半か。さすがに眠くなってきたね。どうする?君はそろそろ帰るかい?」
「警部がまだ残られるなら私も残りますが…」
 新人が先に帰るわけにはいかない。
「そうかい?じゃあこのコーヒーを飲んだら上がろうか」
 そう言うと警部はカップを持ったまま黙ってこちらを見つめた。先ほどまでとは違う、どこか優しさと哀れみを感じる目だった。
「…何かありましたか?」
 私が尋ねると、警部は「いや、別に言いたくなければいいんだけどね」と前置きしてから意外な話題を持ち出した。
「…氏家巡査とは何かあったの?」
 事件の謎解きで忘れかけていた悩みがその言葉で再燃する。やっぱり…この人は気付いていたんだ。
「いや、あの…」
「君たちの間に気まずい雰囲気があることはすぐわかるよ。たまに廊下ですれ違ってもお互い目を合わせないし、交通課と聞くと君の腰が重くなるしね」
「申し訳ありません。仕事に私情を挟んでしまって…」
 カップを置いて私は頭を下げる。警部は手を振って恐縮した。
「いやいや、別にいいんだ。私もプライベートをどうこう言うつもりはない。まあでも一応君の上司だしね、相談に乗るくらいはできる」
 そこで座り直してから警部は続けた。
「どう?こんな夜だし話してみないかい?」
 こんな夜ってどんな夜だよ?…とは思ったが、上司の眼差しは真剣だ。窓の外は黒よりも灰色に近い東京の空。蛍光灯に照らされた室内は明るく、そこにいるボロボロのコートとハットの男だけが不気味に影をまとっていた。
 …話す?この人に?これまで考えたこともなかった。でもどうせ話したって…。
「ありがとうございます。でも、つまらない話ですから」
「構わないよ。それに、事件に煮詰まった時には全く関係のない話をするのがいいんだ。君も経験を積めばわかると思うけど、発想の手掛かりは意外な所から出てくるもんなんだ。アイデアに困った作家があえて遊びに行くようにね」
「しかし…」
「どうだい?この事件を解くためのヒントを与えると思って、話してみてくれないかな?」
 どうして私の悩みを打ち明けることが事件解決に繋がるのかいまいちよくわからないが…そこまで言われると考えてしまう。
「楽しい話じゃありませんよ?」
「大丈夫、微糖のコーヒーにはちょっとビターな話の方が合うから」
 またわけのわからないことを…。私は観念した。どうしてこんな気持ちになったのかは自分でも説明できない。誰にも言うつもりのなかったことを…この誰とも違う異質な存在になら打ち明けてもいいと思ったのかもしれない。それともただ単純に疲労と眠気で思考回路がどうかしていたのかもしれない。

 話して…みよう、この人に。私と美佳子が出会い、そして別れるまでの物語を。
 私の語りが始まると、警部はおしゃぶり昆布をくわえた。

■第四章② 〜野島武〜

 女刑事に家まで送られた後、もう一度シャワーを浴びてから俺は布団に入った。電気を消して暗闇の天井を見つめる。
 色々な映像が浮かんできてなかなか寝付けない。そういえば交通事故に遭って入院した時もなかなか病院の枕に馴染めず、こうやって天井を見つめていたな。
 …警察というのは思ったより優秀らしい。白骨が大宮であること、そして掘り出したのが俺であることをわずか二日で突き止めた。
 カイカンとかいうあの不気味な容姿をした男、俺の話を聞きながら思わせぶりに頷いていたが…あいつは一体どこまで見抜いているのだろう。それに隣にいた女刑事…まるで女優が演じているテレビドラマの刑事が抜け出してきたような美人だった。あの女の目…誠実で強気でどこか冷たさも含んだあの目…。あれは大宮に似ている。
「ハア…」
 俺は溜め息の風船を宙に放つ。
 あの白骨は…やっぱり大宮だったのか。そうではない僅かな可能性を信じたかったがどうやら全ては事実だったらしい。
 今頃あいつは天国で篤実と一緒にいるのだろうか。結局俺が負けたわけか。いや、最初から負けていたんだけど。
 瞳を閉じる…そこには変わらぬ闇。
 今俺は何を願っているのだろう。何を願ってよいのだろう。できることなら許したい。でも誰を?あいつをか?自分をか?
 そんなことを問いかけていると別の疑問が浮かぶ。
 …タイムカプセルは一体どこに行ったのだろう?
 まあいい、もうどうでもいいことだ。

 思い出など掘り起こさない方が楽だった。明日目が覚めた時、全てを忘れられていたらいいのに。何も知らず、何も思い出さず、ただまた平穏に暮らせたらいいのに。

TO BE CONTINUED.

(文:福場将太)

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