コラム

2020年09月「理系のセンス」

 早い物で上半期も今月で終わり。今更言うまでもなく今年は新型コロナウイルスのことばかり。このコラムもいい加減別の話題をと思ったりもするが、やっぱり一番気になっていることがそれなのでやむをえまい。

 僕は出勤前と退勤後に携帯電話でネットニュースを見るのが習慣だが、夕方になると必ず出ているのがその日の感染者数。もちろん大切な情報なのだが、ただ毎回見出しに添えられる文句が異なるのが気になる。
 あくまで架空の数字だが、例えば感染者数が90人だった日の文句には「一ヶ月ぶりに100人を下回る」となっていたのに、翌日が180人だった時には「二日連続で200人を下回る」という文句だったりする。前日が100人を基準に書いたのなら同じ基準で「100人を上回る」と書いた方がよいのではないか。あるいは90人が180人になったのなら「倍増した」という文句をつけることだってできるだろう。

 気持ちはわかる。「下回る」の方が「上回る」や「倍増した」という文句よりも希望をや安心を与えてくれる。ネットニュースの見出しを書いている人も人間なので、そんな手心が加わるのかもしれない。
 でもあえて言いたい。ウイルスの問題はそんな言葉のニュアンスで安心したり不安になったりすべきではない。見せかけの希望より、冷静な現状分析が必要なのだ。確かに100とか200とか一桁変わると人は衝撃を受ける。たった20円の違いでも、4980円より5000円の方が高額に感じるのと同じ心理だ。
 しかし感染者数はそんな心理のトリックに惑わされてはいけない。そもそも毎日検査件数が違うのに一日ごとの数字を見て一喜一憂するのは正しい分析ではない。

 では一週間単位で見ればよいのか、それとも一ヶ月単位がよいのか。数字の増減を差で見ればよいのか、それとも倍率で見ればよいのか。あるいはそもそも人数ではなく陽性率を重視すればよいのか。そんな基本的なことすら僕らはよくわかっていない。
 さらに潜伏期間を考えれば、本日の感染者数は実際には先週や先々週の状況を表しているのではないか。となれば先週の天気予報を見て今日傘を持っていくかを考えているようなもの。このタイムラグをどう意識して数字を解読すればよいのか。それも知らずに僕らは毎日感染者数の報道を眺めている。
 だからネットニュースの見出しの文句は、有難いようで実は混乱を呼んで居るように思う。どうしても文句を添えなければならないのなら、せめて一貫した同じ基準で書くべきである。

 そんなわけで最近は理数系に強い友人によく相談している。普段は数学的な確率論で話をされると「夢がない奴だなあ」と思ったりしていたが、こんな時はとても頼りになる。感情や心理のトリックに惑わされない彼の冷静な分析は毎回僕の目を覚まさせてくれるのだ。

 こんな有名な問題がある。A、B、Cの3つの箱があり、その中の1つに100万円が入っている。残り2つの箱は空っぽ。挑戦者が100万円の入った箱を当てるゲームだ。出題者はもちろんどの箱に100万円が入っているかを知っている。
 まず挑戦者が1つの箱を選ぶ。例えばAの箱を選んだとしよう。ただしまだ中身は確認しない。そこで出題者は残る2つの箱のうち、どちらか空っぽの方を開けて見せてくれる。例えばCの箱を開けてくれたとしよう。その中身は空っぽ。その上で出題者はもう一度挑戦者に箱を選び直すチャンスをくれるのだ。つまり最初に選んだAの箱のままでもいいし、残ったBの箱に変えてもいい。さあ100万円が入っている確率が高いのはAの箱?それともBの箱?
 いかがだろうか。感覚的にはフィフティフィフティ、どちらも同じはずだと多くの人が思う。でもこれ、実はBの箱の方がAの箱の2倍も当たりの確率が高いのだ。理系に強い人ならそりゃそうだと思われたかもしれないが、僕もこれを理解するのに随分時間がかかった。印象と実際の確率はそれくらい違うんだという良い例である。

 医学部も一応理系ではあるのだが、精神科医になってからというもの、どうも言葉のニュアンスや捉え方の工夫ばかり意識してしまい、冷静な数値分析の能力を失っていることに今回気付かされた。文系的な精神論も大切だが、この難局を乗り切るためには、もっと理系のセンスを磨かねばならない。

(文:福場将太)

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