コラム

コラム2016年3月「★短期集中連載★ 戦略部長の事件簿 消えた理事長像の謎(解決編)」

*この小説はフィクションです。

■第五章 〜解明〜

1

 午後3時半。集中管理室の中心に立った織田咲枝はゆっくりと説明を始めた。いいだろう、聞いてやる。秀才の頭脳がどれほどのものか見せてもらおうか。
「まず、高遠さんのお話でおかしいなと思った部分が一箇所ありましたの。落ち着いて振り返れば誰でも気付ける矛盾ですわ」
 …矛盾?
「おわかりになりません?受付の日渡ロミさんの言動についてです」
 なんだって?ロミの言動がどうおかしいと言うんだ?
 戸惑う俺を前に、織田は夕べの俺の行動をスラスラおさらいしていった。午後5時に峰岸をこの部屋に残し5階の理事長室に行ったこと、午後6時にそれが終わると今度は事務長に呼ばれて1階の事務所に行ったこと、そして事務長との話も終わった6時半にそこでロミに会ったこと…。それがどうしたって言うんだ?
「あなたは日渡さんに尋ねましたね、峰岸さんがもう帰ったかどうかを」
「ええ。峰岸さんには作業が終わったら帰っていいと伝えていましたから」
「その時彼女は何とお答えになられましたの?」
「5時半頃に帰ったと言ってましたけど。事務所に寄ってよろしく言ってたと」
 一体なんなんだ、事件の前夜のことがどう関係ある?
「では高遠さん、今朝峰岸さんが忘れ物を取りに来た時のやりとりを思い出してください。午前8時過ぎ、あなたと日渡さんが事務所にいた時のことです」
 あの時は受付から声が聞えて、ロミが応対に出た。そしてやりとりの声が聞えて…。
 そこまで考えて俺の鼓動が強まる。そうだ、あの時確かに聞いた…ロミが「どちら様ですか」と身元を確認しているのを!
 俺の胸中を察したように織田は頷いた。
「おわかりになりましたのね、そういうことですわ。夕べよろしくと言って帰った人間に翌朝どちら様と尋ねるのは矛盾しています。つまり夕べ日渡さんは峰岸さんに会っていないということですわ」
「じゃあロミは俺に嘘をついたのか」
 彼女は「ううん」と首を振る。
「そうではありませんの。夕べ彼女が会った業者さんと、今朝現れた峰岸さんが別人だったということですわ」
 …別人?
「昨日、もう一人別の業者さんが校内に来ていましたわよね?あなたのお話にもちゃんと出てきています。ほら、内海さんから電話があったでしょう?」
 …あ。俺は内海に任せた案件を思い出す。確かに昨日見積もりを取りにきたと言っていた。
「でもあれは全く別の業者ですよ。職員の休憩室を工事するとかで来てたはずです」
「あなたは夕べ、日渡さんに何とお尋ねになりました?」
 俺は思い出す。そしてその言葉を口にした。
「…給計シスの控除のことで修理の業者が来てただろ、と」
 織田は少しだけ微笑む。
「ね?あなたとしては給料計算システムの話をしてたんでしょうけど、彼女には別の言葉に聞こえてしまったんですわ。…『休憩室の工事のことで修理の業者が来てただろ』と」
 そうか、そういうことか。ロミが夕べ受付に寄って帰ったと言っていたのは内海が呼んだ工事業者の方だったのか。だから今朝峰岸に会ってもロミは誰だかわからなかったということか。峰岸の応対はこれまで俺一人で全部やっていたから、現場事務員はあいつの顔を誰も知らなかったんだ…。
「確か日渡さんは『加熱機器』と『鐘つき機』も勘違いされたんですよね?きっとそういう可愛い個性があられるのでしょう」
 そういえばそうだった…そんな所にもヒントがあったのか。驚きの事実に少々動揺する…が、俺は冷静さを持って言った。
「でもそれが事件とどう関係あるんですか?ただの聞き間違いじゃないですか」
「よく考えてください。私が申し上げたいのは、夕べ日渡さんは峰岸さんが帰ったのを確認していないということ…つまりあの時点で峰岸さんはまだこの部屋にいたということですわ」
 …なんだって?
「おそらく予想よりも作業に時間がかかってしまったのでしょうね」
「でも待ってください。俺はあの時タブレットで確認しましたよ、そうしたらこの部屋のパソコンの電源は落とされてました」
「作業の途中で電源を落とすことなんてよくあるでしょう、パソコンを再起動する時とか、休ませる時とか。あるいは作業を終えて帰る準備をしていたのかもしれませんわ。いずれにせよ問題なのは、あなたが直接自分で見に行かずに判断して次の行動をしてしまったことです。あなた…何をしました?」
 背筋が凍る。
「お、俺は…タブレットでセキュリティシステムにアクセスして、全ての部屋の施錠を…」
 織田は「そのとおりですわ」と厳しい瞳で俺を見た。
「つまり、あなたは峰岸さんをこの部屋に閉じ込めてしまったんですわ…一晩中」

 …俺が峰岸を閉じ込めてしまった?
 胸の中で不安と焦りが膨らんでいく。それは戦略部長になってからというもの、ずっと忘れていた感情だった。
「で、でもそんなのすぐに脱出できたでしょう?確かにこの部屋のドアは施錠されると内側から開けることはできません。でも助けを呼べば…」
「どうやって呼びますの?」
 そんなのケータイでいくらでも…と言いかけて俺は言葉を呑み込む。あいつは携帯電話をカフェテリアに置き忘れていた。その方法は使えない。そしてこの部屋には固定電話も置かれていない。
「方法なんてありませんのよ。この部屋のパソコンはインターネットに繋がっていませんからメールも使えない。この学校には夜間のガードマンもいませんから誰も見回りに来てくれない」
 頭の中に部屋から出られず慌てふためいている峰岸の姿が浮かんだ。
「もちろん大声で叫んでみたりもしたでしょうね…でも誰にも届かなかったんですわ」
 昨夜の退勤時、犬の遠吠えを聞いたのを思い出す。もしかしてあれが…。
 言葉を失くした俺に、彼女ははっきりと告げる。
「つまり峰岸さんは閉じ込められるしかなかった。この部屋…いいえ、この学校という巨大な密室に。あなたの不注意のせいですわ」
 室内の空気が滞る。見ると吹き抜けの中にまた雪がちらつき始めていた。
 …なんてことだ、俺がまさかそんなミスを。でも待て、どうしてそれをこんな小娘に説教されなくちゃいけないんだ?
 だんだん腹が立ってきた。俺は意を決して言葉を続ける。
「織田さん、俺が聞きたいのは消えた銅像の話です。それ以外のことは…」
「だからそのお話をしているんじゃありませんの。まだおわかりじゃありませんの?」
「どういうことですか?」
「今朝のわずか十五分の間に銅像を消し去るなんて誰にも不可能ですわ。でも一晩あればそれが可能になるんですのよ!」
 揺るぎない眼光だった。一晩かけて?じゃあ犯人は…。
「峰岸さんがやったって言うんですか?」
 その問いに彼女は静かに頷いた。

2

 織田咲枝の推理は次の段階に進んでいく。プライドが傷つくがひとまず最後までつき合うしかない。
「よろしいですの?昨晩なんとかしてこの部屋から脱出したい峰岸さんはきっと色々な方法を考えたと思います。部屋中を探し回り、どこかに密室の突破口がないか…そして見つけたんですわ」
 そこで彼女は吹き抜けを振り返った。
「この学校の吹き抜けは全面ガラス張りですわね。先ほども確認したように、向かいの部屋の中がここから見えます」
「それがどうしました?」
「向かいの会議室の中には固定電話が置いてあります。それを使って外線にかければ助けが呼べる、彼はそれに気が付かれたんですわ」
 彼女はそう言って歩き出すと吹き抜けの前に立つ。俺もその横に行った。
「この窓を開けて、彼はなんとか向こうの部屋に行くことを考えたんですわ」
「そんな無茶な、ここは4階ですよ?向こうの窓まで3メートルはあります。忍者じゃあるまいし飛び移れませんって」
「飛び移るなんて野蛮ですわ。峰岸さんはシステムエンジニア、そんなことできません。彼は歩いて行くことを考えたんですの。歩いて向こうの窓まで行って、もし運良く鍵が開いていたらそこから中に入れる。…藁にもすがる思いだった峰岸さんは、その可能性を試さないわけにはいかなかった」
「歩いて行くって…それこそ空中歩行じゃないですか。まさか峰岸さんは忍者じゃないけど魔法使いだったっていうんですか?」
 呆れる俺に彼女はクスッと笑った。
「確かにそうですわね。でも昨夜は歩いて行くことも選択肢だった…だって足場があったんですもの」
 彼女は下の方を指差す。そこには積もった雪。まさか…。
「昨夜は記録的な大雪で明け方までにかなりの降雪がありましたわ。先ほども申し上げましたわよね。午前中2階の教室から見たら、吹き抜けが雪で完全に埋まっていたと。朝太陽が出てもそれだけ残っていたんですから、夜の間はもっと積もっていたと予想されます。おそらく3階の高さくらいまであったんですわ」
 俺ははっとして舞い落ちる雪片を見る。この頼りない小さな粒子が積み上がり、4階まで届く巨大な足場を形成したというのか?そうだとしたらその上を歩いて吹き抜けの中を横断し、向かいの部屋の窓まで辿り付けるかもしれない。まさにこの季節、豪雪の北海道だから成立する脱出ルートだ。
「じゃあ峰岸さんはそうやって脱出したんですか?」
 今朝俺がこの部屋に来た時、そこにあいつの姿はなかった。もし俺が昨夜あいつを閉じ込めてしまったのなら、その方法で脱出したと考えるしかない。
 しかし俺の予想に反し、織田はまた「ううん」と首を振った。
「峰岸さんはそんなことはしていませんのよ」

 おいおいどういうことだ?空中歩行のトリックを説明しておいて、でもそれは行なわれていないだと?
「考えてみてください高遠さん。確かに雪の上を歩けば脱出できるかもしれませんわ。でもあなただったらいきなりそれを実行しますか?」
 彼女はまっすぐに俺を見る。その二つの瞳は、けしてこちらに心の中を覗かせない深い漆黒に満ちていた。そして同時に、全てを見通す強い光を宿している。
「俺だったら…やっぱり怖いですね。雪祭りの雪像みたいにしっかり固められてるのならまだしも、ただ積もった雪を足場に歩くなんて。ほら、北海道はパウダースノウ、柔らかい雪ですから」
「…そのとおりですわ」
 ようやく俺の言葉に同意をくれる織田。
「もしいきなり上に乗って柔らかい雪だったら…足場にするどころじゃなく一気に埋没して大変なことになってしまいますわ。峰岸さんもそんな愚かなことはしなかったでしょう」
「じゃあ…」
「まずは確かめたはずです、人間が乗っても大丈夫かどうかを。ではどうやって確かめたかおわかりですの?」
 見つめられ俺は戸惑う。足場の強度を確かめる方法…?思いつかないでいると、彼女がまたクスッと笑った。
「私たちはそもそも何のお話をしていたんでしたっけ?」
 ええと…あ、そうだ!
「消えた理事長像の謎!」
 興奮して答えた俺に織田は続ける。もうすっかり彼女のペースだ。
「人間が乗っても大丈夫かどうかを確かめるには、同じような重さ・形の物を実際に乗せてみるのが一番確実ですわ。そしてそれにうってつけの物がこの部屋にはありました」
 …そういうことか!
「峰岸さんは理事長の銅像を使いました。部屋の隅に置いてあったそれを窓辺まで運び、吹き抜けの中に投げ入れたんです。そしてその結果どうだったか。雪はやはり柔らかく銅像をそのまま呑み込んでしまいました…跡形もなく」
「じゃあ理事長の銅像は…」
「ええ、今もこの吹き抜けの中の雪に埋もれているはずですわ。春になればきっと取り出せるでしょう」
 俺は改めて吹き抜けを覗き込む。あの中に…。事務長が建物の中をどれだけ探しても見つからないはずだ。驚きだらけだったが…納得するしかない結論だった。
「ありがとうございました、織田さん」
「何をおっしゃってますの?まだお話は途中ですのよ」

3

 織田咲枝は吹き抜けを離れ再び部屋の中心に戻った。俺もそれに従う。
「まだ話があるって…どういうことですか?」
「気になりませんの?だって結局空中歩行はできませんでしたのよ?つまり峰岸さんは一晩中この部屋にいるしかなかったわけですわ」
 そうだ、その後のあいつはどうなったんだ?
「結局朝誰かが来てくれるのを待つしかないことになった彼ですが、銅像を投げ落としたことによってさらに状況がまずくなったことに気が付きます。いくら仕方なかったとはいえ、このまま自分が発見されれば銅像のことで必ず責任を追及される。
 …そこで彼は苦肉の策を考えました。朝最初にこの部屋に来るのはおそらくあなた…高遠さんだと予想した彼は、ある場所に隠れることにしたんです」
「この部屋に隠れる場所なんて…」
「あるじゃありませんの。しかも同時に銅像がなくなったことも誤魔化せる一石二鳥の場所が…」
 俺ははっとして部屋の隅を見る。そこには銅像に被せていた大きな布。まさかまさか…。
「そうですわ。峰岸さんはあの布を被り、銅像になりすまして朝あなたがこの部屋に来るのを待ったんです。そして予想どおりあなたが来た…」
 そうか、今朝最初にこの部屋に入った時に布の中にいたのはあいつだったのか!俺はいつもどおり銅像が置いてあると思って気にも留めなかった。
「高遠さんが気付かないのも無理ありませんわ。まさか夜の間に銅像が人間にすり替わっているなんて誰も思いませんもの。峰岸さんも気が気じゃなかったでしょうね。早くあなたが立ち去ってくれるのを布の中で待っていた。
 …するとチャンスが来ました。日渡さんからの電話に呼ばれてあなたが部屋を出ていった…しかも施錠せずに」
「俺がいなくなった隙を突いて峰岸さんは部屋を出たんですね。icカードがなくても、廊下側からならあの鉄扉を開けてエレベーターホールにも出られます。そして…校内にいることを怪しまれないために、今朝忘れ物の携帯電話を取りに来たふりをした」
 彼女は頷く。
 なんてことだ…。銅像が自分で歩いて出ていった、という馬鹿げた俺の想像はある意味的を得ていたわけだ。鉄扉も、犯人が最初から内側にいたのなら障壁にならない。
「これが昨夜から今朝にかけて起こったことの全てですわ。8時にあったはずの銅像が8時15分にはなくなったように見えたのも…これで説明がつきます」
 …全てが繋がったか。
 こんなことが起こるとは。完成されたこのシステムの中で、身動きがとれなくなったのがそれを開発したシステムエンジニアだなんて…皮肉過ぎるだろう。
 完璧だと思っていた…完璧なはずだった…。俺が作ったこの建物、俺が考案したシステム…。
「クソ!」
 思わず言葉が漏れる。強い怒りが込み上げてきた。そうだ、そもそもロミの奴が馬鹿な聞き間違えをしなければ!
「どうされましたの?」
「わかりませんか?怒ってるんですよ。だってそうでしょう?ヒューマンエラーのせいで俺のシステムが侮辱されたんですよ」
 吐き出すように言った俺に再び彼女の瞳が厳しくなる。
「いい加減にしてくださらない?まだそんなことおっしゃってますの?この事件の犯人はあなたですのよ」
 その生意気な口ぶりに俺も堪忍袋を引き裂く。
「どうして俺が犯人なんだよ、やったのは峰岸だろ?」
 怒鳴った俺に彼女は全くひるまない。
「よろしいですの?最初に申したようにこれは窃盗事件ではありません。これは…監禁事件です!システムを過信したあなたのミスが引き起こしたんです」
「違う、システムは完璧だった!馬鹿な部下が聞き間違いをしたのが原因だ!」
「それもあなたのせいですわ。給料計算システムのことを給計シスなんて言い方をしなければ日渡さんだって間違えませんでした。よろしいこと?人に何かを伝える時は相手のことを考え、相手にわかりやすく配慮するのが当然です。パソコンに指示を打ち込んでいるのとはわけが違いますのよ!」
 そんなこと…。
 俺はそれ以上言葉が見つからなかった。

 重い沈黙が室内を支配する。雪はまた少し勢いを強めていた。
「でも…」
 だんだん怒りが薄れてきた頭が一つの疑問を口にする。
「でも織田さん、やっぱりおかしくないですか?いくら部屋から脱出したかったとはいえ、雪の上を歩こうとか、そのために銅像を投げ落とすとか…。朝になれば必ず助かるわけだし、一晩ここでじっとしていた方が賢明じゃないですか?」
 彼女はしばらく黙って吹き抜けを見ていたが、静かにその口を開いた。
「峰岸さんにはどうしても家に帰らなくちゃいけない用事があったんでしょうね。それで焦って混乱してこんなことを…」
 淋しそうな声だった。
「これは私の想像ですけど…高遠さんおっしゃっていましたわよね、峰岸さんが結婚指輪をしていたと。これまでも彼と会っていたあなたが初めてそのことに気付いたということは、彼がその指輪をしていたのは昨日に限ってだったのかもしれません。つまり昨日は特別な日…」
「結婚…記念日ですか」
 そんなことが…。妻に会うために、彼は慌てふためき、焦り、混乱し、絶叫し、銅像を投げ落としたのか。一晩中この部屋で格闘し続けたのか。そんな…たった一つの愛のためにそこまで…。そんな…。
「…よかった」
 彼女が微笑む。その瞳にはもう厳しさはなかった。あれ?なんだか視界がぼやけて…。
「安心しましたわ、高遠さん」
 …なんだ?どうなってる?
「あなたもちゃんと人間でしたのね」
 …え?
「愛というバグが生じて心に誤作動を起こす…それが人間です。その涙が証拠ですわ」
 …涙?俺は頬に手を当てる。そこには温かいものが伝っていた。
 泣いている…俺が?そんなはずは…。
 妻のために奮闘する峰岸…、ずっと鼻で笑っていたそんな愚かな人間の姿にどうして涙が止まらないんだ?
「では、失礼致しますわ」
 ほとんど見えなくなった視界の中、全てを解き明かした秀才はこの部屋を去った。

■エピローグ

 三月末、織田の推理どおり吹き抜けの解けた雪の中から銅像は見つかった。中庭の中心にしっかりと立った姿で、しかも雪で磨かれたのか以前よりも輝きを放っていた。職員や学生たちはこれを「理事長の奇跡」と呼んだ。四月のセレモニーより早いお披露目となったが、一応サプライズにもなったし、何より理事長が上機嫌だったのでひとまずよかった。

 あの後、峰岸に閉じ込めてしまったことを謝罪すると彼も全てを告白してくれた。そしてこの事件は警察沙汰になることもなく幕を閉じたのである。
 一応解決の功労者ということで織田にもそのことを伝えると、彼女は廊下で声をかけたことがむしろ迷惑といった感じに「あらそうですの」とだけ返した。ついでにどうして短時間で真相を見抜けたのかも尋ねてみた。
「それでしたら…インディ・ジョーンズのおかげでしょうか」
 彼女はクスッと笑って答える。
「映画第3作の『最後の聖戦』の中で、インディが空中を歩いて谷を渡る時の仕掛けをちょっと思い出しましたの」
 そういえばそんなシーンも…。
 彼女は自分には東京の警視庁で刑事をしている叔父がいて、その叔父がインディ・ジョーンズが大好きで幼い頃から何度もビデオを見せられたと付け加えた。
「まあ、そんなところですわ。じゃあ高遠さんもお元気で。ごめんあそばせ」
 そう一方的に言うと、彼女はまた自習室に戻っていった。その後ろ姿を見ながら俺は思う…やはり人間はコンピューターを超える、システムだけではダメなんだと。

 伸びをして吹き抜けから天を仰ぐ。そこには青い空が果てしなく広がっていた。
「さて、俺も次のステップかな」
 来月本社に凱旋する話は白紙に戻った。理由は…きっと涙を流したからだろう。総合デジタルの社員は泣くことを許されない。上に行きたければ情を捨てろ…ずっとそう教育されてきた。
 でも俺は後悔していない…いや、むしろ嬉しい。自分が人間であったことを実感できたから。もしかしたら俺は会社が開発したロボットなんじゃないかと本気で疑ってもいたから。そうさ、背伸びしたってこの空の高さは変わらない。
 俺は下を見た。中庭の雪解け水に春の陽光が眩しく乱反射している。
「さて…」
 小さく深呼吸してスマートフォンを取り出す。そしてゆっくりと懐かしい番号をダイヤルする。そう…消去しきれずにいた記憶を頼りに。
 プルル、プルル、プルル…。あの頃のぬくもりが戻ってくる。
「はいもしもし?」
 五回のコールの後に彼女が出た。
「あ、千里?俺だけど…」
 あきらめたわけじゃない。いずれは必ず総合デジタルを上り詰めてやるつもりだ。でもそれはロボットとしてではなく、ちゃんと人間のままで。北海道の桜のように、遅咲きの愛を携えて。
「突然ごめんな。実は…」
 そして俺はそっとその言葉を吹き込んだ。

THE END.

■あとがき

 本作の舞台はもちろん愛する職場・江別すずらん病院。そして主人公のモデルは今月実際に職場を去る戦略部長。彼は病院が美唄にあった頃から着任していたので、当法人にとって移転・新築という一番の過渡期を一緒に過ごしたことになります。来月からはデイケアセンターという新たな事業が始まるので、タイミングとしてはその建物の完成を見届けての異動となります。まさにすずらん絵巻第一章の重要登場人物といったところでしょうか。個人的には、美唄すずらんクリニックの立て直しの際に大変お世話になりました。

 病院は医療職だけでは立ち行きません。事務職という縁の下の力持ちがいてくれてこそ色々なことができる。医療と経営、組織と個人、常道と邪道…時に相反する両者のバランスを僕は戦略部長に教えて頂いたように思います。ある時は最大の敵、ある時は最大の見方であるこの男。そのかっこいい立ち位置で、次の職場でも活躍と暗躍を期待しています。

 ではでは、またお会いしましょう。ありがとう二郎さん!

ありがとう二郎さん!ありがとう二郎さん!

平成28年3月15日 福場将太

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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