コラム

コラム2016年9月「秋の夜長に心の名作⑮ 南くんの恋人」

 久しぶりに見てみるとやっぱり面白いと思う作品があります。やっぱり自分はこれが好きなんだなと改めて実感する作品があります。まるで心の中のタイムカプセルを開けたみたいに、夢中になっていたあの頃の気持ちを蘇らせてくれる作品があります。
 みなさんにもそんなふうに時を越える自分の名作がありませんか?毎秋恒例のこのコーナー、今年も心の中をタイムトラベルしながら書いてみます。まず今月は『南くんの恋人』。原作は漫画ですが、その魅力的な設定からかこれまでも何度も映像化されています。その中でも僕が一番好きな1994年のテレビドラマ版を紹介します。

■ストーリー

 千代美と南くんは幼馴染で家族ぐるみのつき合い。七年前に母親が病死した時も千代美を元気づけてくれたのは南くんだった。そんな二人も三か月後に卒業を控えた高校三年生。南くんのことが気になる千代美だが二人にそんな雰囲気は生まれず、むしろ南くんはクラスメイトのリサコにちょっかいを出されている始末。彼の18歳の誕生日を一緒に過ごすという昔の約束さえ憶えていない様子。さらに父親まで再婚すると言い出した。そんな千代美にとってはストレスだらけのある夜、車に轢かれそうになった彼女に驚くべきことが起こる。なんと目を覚ますと身体が10分の1のサイズに小さくなっていたのだ。命からがら自分に助けを求めてきた千代美を成り行きでかくまう南くん。秘密の同棲生活は次第に楽しいだけのものではなくなり、二人はいくつもの苦難を共に乗り越えながら心理的に成長していく。

■福場的解説

 名作というのは理屈ではない。「○○だから名作」ではなくて、まず名作だという理屈抜きの感慨がそこにあって、一体どこが面白いのかを後から分析する…その作業がまた面白かったりするのだ。本作も僕にとってはそんな作品だと思う。

 本作の初見はリアルタイムのテレビ放映だった。物語の序盤は女の子がリカちゃん人形のサイズになってしまったという可愛らしいファンタジー、そしてその女の子をかくまって暮らす男が周囲から見たらいかに奇妙で滑稽化を描いたコメディになっている。この楽しい空気はもちろん作品終盤まで続くのだが、本作では二人の前に立ちはだかる現実の壁はしっかりリアルに描かれていく。物語の中盤からは楽しさよりも苦しさや厳しさの方が増えてくる。軽い気持ちで始めた同棲生活は次第に離れ難いものとなり、友人やお互いの家族さえ騙し裏切りながら、それでも二人は一緒にいようとするのだ。視聴者にとってそれは微笑ましく応援したい姿であると同時に、とても切なく痛々しい姿でもある。
 しかし千代美と南くんの物語がけして悲劇的で罪深いものにならないのは、二人を囲む人々が誰もが愛に溢れているからだろう。本作の登場人物の数には一切の過不足がなく、全員に優しい役割が用意されている。
 きっとそんなファンタジーとリアリティ、優しさと厳しさ、愛しさと切なさが絶妙なバランスで混じり合ったこのあたたかさこそが本作が名作たる由縁だと思う。

 …とまあ二十代までの頃の僕ならきっとこんな感想で終わっていたのだろうけど、今改めて見てみると別の感慨が湧いてくる。
 僕は「現実の中に一つだけ非現実的な設定を置く」という作品が好きだが、それは非現実的な設定を通してむしろ自分たちが生きている現実を見つめることができるからだ。本作における「身体が10分の1のサイズになる」という要素、今だからはっきりと感じてしまったが、これは現実の世界における「身体の障害を抱える」ということに置き換えられる。
 小さくなった千代美は自分一人では食事の準備もできない。行きたい場所に行くこともできない。南くんの助けなしには生きていけないのだ。最初は好意と甘えで助けを求めてしまった千代美も、次第に自分が彼の負担になっていることに悩むようになる。そして迷惑をかけまいと姿を消すのだが、当然それにより南くんは寝る間も惜しんで千代美を捜索することとなり、余計に迷惑をかける結果となってしまう。「好きな人には迷惑をかけてもいいんじゃないか」という恩人の言葉もあり千代美は彼の所に帰る。そして元の姿に戻りたいと強く願うのだ。
 これは僕たちの生きる現実における障害に甘えてしまう気持ち、自分なんかいない方がいいんじゃないかと思う気持ち、そして障害を克服したいと願う気持ちに繋がっている。
 小さくなったことで千代美は大好きな人と一緒に暮らせるという幸福を得た。しかし同時にそれ以外の世界は閉ざされてしまった。しかし南くんは違う。彼には別の世界もある。彼が友人や家族と笑い合っている時、千代美は遠くからそれを聞いていることしかできないのだ。どうしようもない「差」という現実がそこにはある。
 落第しそうになった南くんの勉強を手伝って彼が試験に受かった時、千代美はとても嬉しそうだった。現実世界でもそう、多くの助けを借りて生きている人間ほど相手の役に立ちたいという欲求が強いのである。

 千代美の恋のライバルとして登場するリサコについても考えてみたい。昔は彼女のことを二人の間に割って入る敵役としてしか見られなかったが、今はヒロインの千代美に匹敵する魅力的な女性であり、けして悪役ではなかったと認識している。彼女は家庭崩壊という千代美とはまた違う問題を抱え、そして南くんの優しさに惹かれやがて本気で恋をする。千代美の秘密に気付いた彼女はそのことを周囲には言わず、南くんの前で直接対決に出るのだ。
 リサコは問う…「ずっとこのまま南くんが面倒を見て暮らすのか」「こそこそ隠れるようにして生きていくのか」「南くんにやりたいことも我慢させて、それで千代美は平気なのか」と。所見の時はなんて嫌なことを言う性格の悪い奴だと思ったが、リサコの言葉は現実である。不遇な家庭に育った彼女だからこそ生きていくことの大変さを千代美や南くんより知っていると言える。そして何より、彼女自身南くんを思うからこその訴えだ。
 リサコの言葉で痛烈なのは「生まれて初めて本気で男の人を好きになったの。だから小さくなるなんて反則使われて負けたくないのよ」である。千代美が望んで小さい姿でいるわけではないことも彼女はわかっている。それでもそう言わずにはいられない。そう、不謹慎なのも承知であえて書くが、「障害」というものには健常な者がけして手に入れられない魅力が内在しているのだ。そして人間はおそらくは無意識なレベルも含めてその魅力に惹かれる生き物なのだと思う。
 例えば『Dr.スランプ』の則巻アラレはいつも明るく元気な女の子だが、本当はロボットであることをみんなに隠して生きている。『名探偵コナン』の江戸川コナンも恵まれた能力をいくつも持つ一方で、本来の姿を失い同級生と同じ青春を送れずにいる。もちろんそれらの悲劇性は前面に押し出されてはいないが、彼らの人気の高さに確実に影響していると僕は思う。本作の千代美の姿も、たまらなく可愛らしくそしてさり気なく悲しい。
 もちろんリサコだって千代美が可哀想だと思っている。それでも自分の恋心に向き合った時、小さくなって南くんに守られている彼女に対して悔しくてたまらないのだ。結果として南くんはこの時点ですでに千代美との間に硬い絆が生まれておりそちらを選んだ。でももし少しタイミングが違っていたら彼がリサコを選ぶ結末も十分に有り得たように思う。
 ただ「小さくなってしまった」ということを無視して考えることはできないけれど、最終的には千代美がちゃんと一人の女性としてリサコに勝利したと描かれているのも本作の見事なところであろう。

 さて、本作を象徴する名場面として挙げられるのは千代美と南くんが二人でカラオケをするシーン。歌うという行為においては千代美にはなんの弊害もない。南くんと対等に、思いのままに伸び伸びと楽しめるのである。現実世界においても、障害の有無に関わらず誰もが同じように楽しめる舞台をどれだけ作れるかが重要なことだ。障害とはその人が持つ者ではなく環境の側にある物。本人が訓練に励むことも大切だが、それ以上に社会環境作りが大切。特に精神科医療では両方の活動をリハビリテーションと呼ぶが、これはきっとそれ以外の障害においても同じことなのだと思う。
 本作ではカラオケや電話、ビデオカメラなどの文明の利器が千代美が弊害を乗り越える上で大きく役立っている。小さくなるというファンタジーを、魔法の力などではなく現実の道具で解決しているところも、僕がこの作品に肌が合う部分である。

 カラオケボックスの場面、二人の顔のアップではそこには幸福しかない。しかし少し離れて見てみると二人には身体の大きさの違いと言う現実がある。大胆だけどどこか後ろ向きで、純粋だけど刹那的で祈るような幸福…これこそが『南くんの恋人』なのだ。
 本作には二つの結末が用意されている。ドラマシリーズの最終回としての結末と、その後追加で製作された『もうひとつの完結編』。二つの結末において千代美と南くんの出した答えは全くの正反対となっている。
 僕たちの生きる現実でも、障害というものに向き合った時、どちらの道を選ぶ場合もあるように思う。どちらがハッピーエンドかなんて決められるものではないが、時々この大好きな作品を見返して考え続けていきたいと思う。
 そして昨今報道を賑わせた「障害=感動という演出はいかがなものか」という問題提起に対する手掛かりも、もしかしたら本作の中にあるのかもしれない。だって千代美と南くんの姿は本当に素敵で、二人を囲む人たちの優しさもこんなに素敵なのだから。

■好きなシーン

 様々な状況証拠から、千代美は小さくなって南くんの部屋にいるという結論に至ったリサコはついにそれを確かめにやって来る。一見南くんしかいない部屋に向かってリサコは叫ぶ…「いるんでしょ、堀切千代美さん!出てきなさいよ卑怯者!」。そのまま身を隠し誤魔化すこともできた。南くんもそうしようとした。しかし千代美はついに自らその姿を見せる。そして堂々と言い放つのだ…「南くんを好きな気持ちは誰にも負けない」と。

→物語が佳境に突入するきっかけとなるシーン。何もできない自分に悩んでいた千代美がここだけは譲れないと立ち上がり、誰にも見せたくない姿をさらけ出したその勇気が本当に大好きです。力強いBGMも相まってまさに威風堂々。自分はこんな現状だけど、でも気持ちだけは負けない。本当に気持ちだけなんだけどそれこそが未来を切り開く最大の武器になる。
 この時点では勢い任せの行動だったのかもしれないけど、ここから確実に千代美の成長が始まります。そして登場人物の中で一番子供っぽかった彼女が、最終的にとても大きな心に辿り着くのです。
 現実の世界でも障害を抱えると人は恋や幸福の追求に臆病になってしまいがち。堂々とリサコの前に現れた千代美の勇気を、ぜひみんなで灯しましょう。毎回このシーンが来ると、テレビに向かってスタンディングオベーションをしてしまう僕です。

■好きなセリフ

「贅沢すぎるよ」
 最終回、もっともっと二人で色々なことをしようと言う南くんに対して千代美が言ったセリフ。

(文:福場将太)

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