コラム

コラム2016年10月「秋の夜長に心の名作⑯ スパイラル〜推理の絆〜」

 雪はまだ見えませんが確実に寒くなってきております。今月は僕が東京にいた頃、つまりは大学時代に夢中になった漫画『スパイラル』をご紹介します。

■ストーリー
 高校1年生の鳴海歩は多くの才能に恵まれながらも自分に自信が持てず後ろ向きに生きていた。その理由は兄・鳴海清隆の存在。清隆は神と形容されるほどの天才であり、歩の欲しかったものはことごとく彼に奪われていた。そんな兄が謎の言葉を残して失踪して一年、歩の周囲でブレードチルドレンと名乗る謎の少年少女が不穏な事件を起こし始めた。望まずもその渦に巻き込まれていく中でやがて歩は自らの過酷な運命に対峙することとなる。

■福場的開設
 90年代、『金田一少年の事件簿』のヒットにより少年雑誌はこぞって推理漫画を連載した。本作もその流れの一つであり、始まった時は「またこのパターンか」と感じてあまり期待はしていなかった。しかし多くの二番煎じ作品が有象無象に紛れた中で、本作は華麗なる路線変更を遂げ他作とは一線を隔す存在となった。
 本作最大の特徴は『推理』ではなく『論理』の漫画ということだ。謎の殺人事件が発生しそのトリックと犯人を名探偵が解き明かすという形式は早々に中止。ブレードチルドレンが仕掛けてくる命懸けのゲームをいかに論理で攻略するかという対決が物語の主軸となっていく。そう、主人公の最大にして唯一の武器は『論理力』とでもいうのか、目の前の困難を乗り切るためにいかなる論理を組み上げるかが本作の面白さなのである。「52枚のトランプから相手が選んだ1枚をたった一回の質問で特定するにはどうしたらいいか?」「どちらかに毒が入った二つのグラスからいかにして安全な方を選べるか?」「圧倒的な戦闘力を持ち銃を構えた相手をどうすれば暴力ではなく論理で封じ込めるか?」などの命題はとても興味深い。謎解きとはまた違う知的快感、これがいわゆる推理漫画に飽きかけていた多くの読者の心を掴んだ本作の魅力なのである。

 改めて考えるとここまで理屈っぽい漫画も珍しい。登場人物たちがああでもないこうでもないと座り込んで論じているだけで一話が終わったりする。しかも本作は月間連載なので、ただ話をしているだけで平気で数ヶ月経過することさえあった。体は動かしていなくても思考は巡り論理は踊る、殴り合いだけがバトルじゃない…まさに新感覚の少年漫画と言えるだろう。

 物語の後半ではブレードチルドレンの正体と彼らが抱える悲しみも明かされ、歩にはさらに大きな命題が与えられる。彼らを取り巻く状況をチェス盤に例え、誰がどこに配置され誰がどう動けばこの絶望としか思えない現状を希望に導けるのかがテーマとなるのだ。同じ現実を前にして、やがて清隆と歩はそれぞれ異なる論理を組み上げる。それはもはや論理だけでなく『解釈』の対決。絶望をどう解釈すれば希望に見えるか。推理漫画から路線変更したとはいえまさかここまでやるとは…と驚いた。物語後半の展開はきっと読者の好みが分かれるところだろう。でも偏見かもしれないが、心の医療のスタッフはこういった解釈を巡っての議論が好きなのではないかと思う。
 この世の中にはどうしようもないことがある。取り返しの付かないことがある。例えば治すことのできない病、障害というものがそうだ。一度しかない人生で自分は障害を抱えて生きていかなければならないんだと思うととても悲しくなる。しかしどんなに叫んでも暴れても現状が変わるわけではない。すると人間はやがて一つの考察に辿り着く…「現実が変えられないのなら自分の捉え方を変えるしかない」と。だから障害を抱えて生きる多くの者が自分を励ます言葉を必死で探し、失っただけではなく得たものもあったのだと信じようとする。
 捉え方を変えることで心を楽にしようという発想は精神科医療における認知行動療法の基本となるものだ。物に対する捉え方を変えることを『認知修正』と呼ぶが、それはけして特別なことではない。むしろ誰もが持っている心の防衛機構の一つだと思う。

 歩が立たされたのはどこをどう見ても絶望しかない状況。そこに希望を見いだすには正直かなりの無理があった。しかし論理と解釈を駆使した壮大な認知修正によって、全ては希望に繋がっていると歩は示した。そして多くの者が自らもその希望の一端に繋がる道を選んだのだ。
 僕は精神科医だが、あまり一つの技法や治療理論に心酔しないようにしている。ただ一つ好きな技法があるとすればそれが認知行動療法・論理療法といったものだ。その理由は特別なことではないから。そして薬なんか使わなくても捉え方を変える事で心が楽になるのならとても素敵だと思うからだ。
 人間には想像力がある。発想力がある。それらを活用すればマイナスをプラスに、後退を前進に、ストレスをガソリンに、コンプレックスを武器に、敵を味方に、そして絶望を希望に変えることができる…これこそ人間が持っている魔法なのだと思う。

 本作でもう一つ興味深いのは、歩は最後まで自分を信じていないということ。少年漫画のセオリーから言えば「自分に自信が持てなかった主人公が最後は自分を信じて勝利を手にする」となりそうなものだ。実際に物語の前半では「歩が清隆に勝てないのは自分を信じていないから」「自分を信じた者だけが幸福でいられる」というメッセージが何度も告げられる。
 しかし物語終盤に至っても彼は自分を信じていない。むしろ信じぬ者であることが最後の戦いの勝敗を分ける。歩自身にもブレードチルドレン以上の絶望が背負わされるが、それすらも問題解決の要素として彼は活用する。夢が叶うなんて信じていない。自分に人を救える力があるなんて信じていない。半分以上やせ我慢なのかもしれない。それでも彼は逃げ出さず、自分が示した希望に向かう螺旋の運命の上を歩いていくのだ。

 先月のコラムでも触れたが、悲しみや障害にはそれを持たない者にはない『力』が必ず内在している。自分を信じていないからこそ、絶望の中にいるからこそ、奏でることができる希望があるのだと本作は教えてくれる。


■福場への影響
 精神医学の最大の特徴はあまりに曖昧な部分の多い学問であるということだ。病気に対する考えも、症状の解釈も、治療理論も、そして目指すべき目標もいくつもの答えがある。スタッフによって、患者によって、病院によって、学派によってその答えが異なるのはけして珍しくない。正反対のことを言っている専門科なんてゴロゴロいる。
 そんな中で、正解がどこにあるのか、一体何を信じてやっていけばいいのか途方に暮れそうになることがある。しかし歩の「何も信じない」というスタンスは、僕にとってこの仕事を続けていく上での大きな参考となった。
 絶対正しいなんて信じない、間違っているとも信じない、ただうまくいくことを願って逃げ出さずにやり続ける…そんな医療者の姿もよいと思っている。
 あと音楽の要素が巧みに盛り込まれているのも本作の特徴。特にフランツ・リストの『孤独の中の神の祝福』は本作を象徴する一曲となっている。クラシックに疎い僕だけど、この漫画の影響でリストのピアノ曲集は今でも残業中のBGMになっている。


■好きなシーン&好きなセリフ
 「腹立たしいが、俺にはピアノがある」
 歩にとって兄に勝てないという思いからあきらめたピアノ、それでも好きだから完全にはやめられないピアノ。ある強敵を倒すため歩が組み上げた作戦、その第一段階は建物内のどこかにいる敵を誘い出すことだった。どうやって誘い出すのか尋ねる仲間に歩は上記のセリフを告げる。そう、ピアノの音色で敵を誘導するのだ。
 辛い思い出だったとしても、人間自分が頑張って手にした技術はいざという時に自分を助けてくれる。物語としても、歩が本当に顔を上げて歩き出したのはこのセリフからだと思います。みなさんも、腹立たしくても自分が持っているものを探してみましょう。

(文:福場将太)

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