コラム

2011年09月『幸福論』

 医療の基本はより健康にすることだ。失った健康を取り戻すことだ。確かにそれはそうなのだが、時々ふと思うことがある。。。なくしたものを求めるよりも、まだ残っているものを高めることのほうが大切なんじゃないかと。

 見えなくなった目を見えるようにしたい、聴こえない耳を聴こえるようにしたい、失った腕を取り戻したい・・・それは当然の気持ちだ。できるのならどんなことをしてもそうしたいと願うだろう。しかし、残念ながら医療は全ての願をかなえるほど万能ではない。妥協とかあきらめとかではなく、現実としてどうしようもないことはある。そして誰の人生にだって、一生かけても手に入らないものがある、何か不足しているものがある・・・まるでそれが人間であることの証明であるかのように、全てをてにいれることはできないのだ。何かを手に入れるということは、何かを手放すということなのだ。

 より健康になりたい、より幸福になりたい・・・そんな気持ちが暴走すると、医療は人間を人間じゃなくしてしまうのではないか。もっと寿命を延ばしたい、もっと頭がよくなりたい、もっと才能のある子供がほしい、容姿の美しい子供がほしい・・・それははたして幸福の追求だろうか。気持ちはわかる、実際にそのための研究も行なわれている。でも・・・無責任な言い方かもしれないが。運命にゆだねなければならないこともあるんじゃないだろうか。さらに上を上をと求め続けるのはおこがましいことなんじゃないだろうか。

イメージ 視力と聴力を失っても、点字と感触を用いた対話で講演会をしている人がいる。両腕を失い口に筆をくわえて絵を描いている画家がいる。子供ができない体だと宣告され、養子を引き取って育てている夫婦がいる・・・。1回しかない自分の人生でもうこれは手に入らない、だからこそこっちをがんばって幸せになろう・・・幸福の追求とはそういうことだと思う。全てはてに入れられないけど、全てを失うこともないと信じて、けして人生をあきらめることなく、残された力を最大限に活かして、形を変えながらでも夢をかなえていく・・・そんなふうに生きていけたら素敵だと思う。

 欲張らず、だけどけしてあきらめず、そんな幸福の追及者でありたい。

(文:福場将太 写真:瀬山夏彦)

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