コラム

2013年11月コラム「読書の秋~人はなぜミステリーを好むのか~」

 本は心の栄養、と言われるように読書はたくさんの感動を与えてくれます。携帯電話や携帯音楽プレーヤー、携帯ゲーム機などの普及により車内や喫茶店で文庫本を開いている人を見かけることは少なくなりました。若者の活字離れが激しいなんてこともよく聞きます。それでも最近はまた電子書籍という形で読書が広まりつつあるようです。さて、みなさんには何度も読み返したお気に入りの愛読書がありますか?作品世界に引き込まれ、次のページをめくらずにはいられなかった経験がありますか?今回はそんな文字の芸術の中でも特に推理小説の魅力について書いてみましょう。

 人はなぜ推理小説を好むのでしょう?かつては「推理小説など事件や犯罪を扱った低俗な小説だ」という風潮もあったようです。それにこれだけ毎日のように悲しい事件が報道される昨今、犯罪を描いた小説なんて読みたくない、不謹慎だという人もいるかもしれません。しかしそれでも推理小説は息の根を絶たれることはなく何年かに1度はブームが押し寄せ、小説には留まらずコミック・ドラマ・映画の世界でもミステリーは人気を博しています。そして医療の仕事をしている私もまた推理小説の大ファンです。
 推理小説の魅力はどこにあるのか…当然ですが私は人が殺されたり悲劇が起こったりするのが好きなわけではありません。多くの推理小説ファンも、もちろん推理作家もそうでしょう。けして現実の事件が好きなわけじゃありません。推理小説で楽しんでいるのは謎解きの面白さ、探偵が犯人と対決するスリルやサスペンス、そして犯罪という非日常の中での人間ドラマなのです。

 まず謎解きの魅力について。推理小説では多くの場合何らかの事件が起こり、その事件には不可解な謎があります。犯人は誰か、どうやってこの密室を作ったのか、凶器は何か、動機は何か…などなどまさにミステリーです。名探偵は推理を巡らせてこれらの謎を解明していくのですが、読者もその答えを一緒に推理していくのが推理小説の1つの楽しみです。特に「本格推理」と呼ばれるジャンルでは読者が名探偵とフェアに対決できるように、解決編までに謎を解くために必要な全ての手掛かりが提示されるようになっています。もし名探偵よりも先に答えがわかったら嬉しいですし、自分がどんなに頭をひねってもわからなかったことが解き明かされるのはとても快感です。もちろんその真相は意外なほど解き明かされた時の驚きも大きいのですがここが大切なところで、ただ意外性があればいいというものでもありません。意外性と同時に論理性が重要、つまりは納得できなければ意味がないのです。どんなに奇想天外な真相でも、読者に「いや、それはないだろ」と思われたらその謎解きは失敗です。「ああそうか、そういうことだったのか、やられたな」という心地良い敗北感、まるで柔道で綺麗に1本投げられたような感覚を味わいたくて読者は推理小説を読むのです。この意外性と論理性のバランスが作家によって異なるわけで、それが作風にも繋がります。ページをめくった瞬間心臓が飛び出そうなほどの真相を突きつけ多少強引な論理でも名探偵の推理で読者に説得していく作品もあれば、真相はある程度読者の予想の範疇でもそれを誰もが納得の美しい論理で証明する作品もあります。謎解きの意外性と論理性、どちらに重きを置いた作品が好きかは読者の好みが分かれるところでしょう。

 …とまあ謎解きは確かに推理小説の醍醐味なのですが、ここで声を大にして言っておきたいことがあります。推理小説の魅力はけしてトリックや犯人の解明だけではありません。時々「犯人が誰とかトリックがどうとかそんなの興味ないから推理小説なんて読まない」と言ってる人がいますが、それは音楽の魅力をボーカルだけで判断しているくらいもったいないことです。確かに謎解きは推理小説には不可欠な要素であり、これがあるから他のジャンルの小説とは区別されているとも言えます。でももし謎解きだけが魅力だったら推理小説は1回読んで犯人とトリックを知ってしまったらもう読み返す価値はなくなってしまうことになります。しかし名作と呼ばれる作品は犯人もトリックもわかっていても何度読んでも面白いのです。それは物語が面567890poi白いからです。つまり推理小説と言えどあくまで小説、お話として面白くなければいくらトリックがすごくても全くの駄作なのです。魅力的な登場人物による魅力的な人間ドラマがあってこその推理小説、逆を言えば謎解きはそこそこでも物語として面白ければ十分名作になりうるのです。まあ中には数学問題かクイズのように割り切って謎解きだけを楽しませる推理小説もありますが、やはり何度も映像化されるような人気作品は物語としての完成度が極めて高くなっています。そのような作品ではけして人の死や犯罪を茶化すこともなく、誰もが抱える心の闇に引き込まれてしまった犯人の姿、なぜ罪を犯さなければならなかったのかというその動機を丁寧に描いています。そして犯人だけではなく事件に関わった登場人物たちの生き様が描かれ、そこには人間の強さや弱さ、優しさや汚さが垣間見えます。そして時には生きることの意味や罪とは正義とは果たして何なのかということさえ考えさせてくれます。その意味では名探偵による名推理というのはある種のお約束ですね。事件は解決され最後にはわずかばかりでも救いの灯がともされる…それでいいのです、それが推理小説というフィクションなのですから。

 何を熱く語ってるんだと思われるでしょうがどうしても好きなことになると筆が止まらないもの。思えば私がミステリーにはまったのは父親の影響でした。教育上どうかという気もしますが小学生時代から「犬神家の一族」「獄門島」などの金田一耕助シリーズの映画を見せられて育ちました。最初の頃はまず怖いという印象が強かったですが、このシリーズに流れる日本人土着の風習や心の暗部は何とも言えない魅力があります。また同じく見せられた刑事コロンボシリーズ、これは犯人やトリックが先に描かれるという画期的なスタイルのミステリードラマで、まさに謎解きよりも登場人物やその人間ドラマに重きを置いた作りになっています。さらに中学生の頃にはコミックにおいて「金田一少年の事件簿」が大ヒット、このシリーズもただ謎解きに終始せず特に犯人の動機を大切にするという作りが何回読んでも感動をくれました。またその後に続いた「名探偵コナン」は犯人の心の闇よりもユーモラスな登場人物たちのラブコメに重きを置き、ミステリーでありながらサザエさんのようにお茶の間で気軽に楽しまれる国民的作品になりました。高校時代はそんなコロンボ・金田一・コナンをローテーションしながら小説としては綾辻行人氏の「館シリーズ」に心酔。この方の文章の力は本当に素晴しくて、まるで自分がその謎めいた館にいるような気分にされてしまいます。しかもそのスリルとサスペンスに満ちたあきさせないストーリー展開は読者の心を離してくれません。結局徹夜で1冊読みきってしまったなんて経験が何度もあります。しかも度肝を抜かれるようなとびっきりの真相がそこには用意されていて、意外性と論理性の見事な両翼には感無量です。まあ大學時代以降もアガサ・クリスティやエラリー・クイーンといった古典的名作も楽しみながら現在に至っているわけです。

 とまあ語ればきりがないですが、やっぱり私はミステリーが好きなんだなあと思います。実際の人間の心は矛盾や気まぐれに満ちていて、推理小説のように「これこれこうだから犯人はこうしたんだ」なんて決め付けることはできません。現実の事件では地道な聞き込みや情報収集、指紋・体液・DNAなどの科学的な検証によって操作が進んでいくわけで天才的頭脳の名探偵が1人で全てを解明するなんてことはありません。もちろん推理小説の謎解きが得意な人が現実の警察官に向いているというわけでもないでしょう。そう考えるとミステリーというのは現実的なようで実は最もそこから遠いところにあるファンタジーなのです。それでいいんだと思いますし、そうでなくてはいけないと思います。

 身近なところで事件、凄惨な現場、とんでもない動悸、友達が犯人…そんなことは現実にはない、なかったからこそミステリーは面白かった。ジェットコースターだってそうでしょう?あんな体験普段はできないからあのスリルを味わいたくてみんな乗るのです。それなのに昨今のニュースを見ていると、現実よりもミステリーの方が平和な世界になってきています。これじゃあ逆さまですよ。事件なんてものはミステリーというファンタジーの中でしか起こらない…そんな時代が来てくれることを推理小説ファンとして切に願うばかりです。

読書の秋~人はなぜミステリーを好むのか~

(文:福場将太 写真:美唄メンタルアルピニスト)

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