コラム

2016年6月「笑おう」

 先月は公的にも私的にも意味深さを感じる出来事が多い月だったように思う。一つはアメリカ大統領の広島訪問。かつて原子爆弾を投下した国の代表が投下された街を訪れたのだ。僕も広島で生まれ平和教育というものを毎年受けてきた人間なので、色々思うところはある。しかしまだそれを文章にして書くには知識も感慨も不十分なことを自覚している。だから今はただ憶えていたいと思う。そして考えていきたいと思う。この歴史的な意味深さを感じる出来事にどんな意味があったのか、どんな意味を持たせられるかを。

 もう一つ、歴史に立ち会えたと感じた出来事があった。それは国民的演芸番組『笑点』の司会者交代である。少し振り返ってみると、自分は思った以上にこの番組が好きだったことに気付く。

 最初の記憶は小学生時代。我が家の夕食は午後6時からだったので、僕は父と妹と笑点を見ながら母のごはん仕度を待っていた。画面には先代円楽さんの司会のもと活き活きと回答するメンバー。カラフルな着物に身を包んだその姿は、子供心にとても華やかで楽しそうに見えた。
 中学校に上がってからはその時刻に家にいなかったり、他に夢中になれることを見つけたりして、少しずつテレビを囲む家族の輪には加わらなくなった。そのため笑点に向かう頻度も減っていき、それは高校・大学と進学するにつれてますますそうなっていった。それでも時々目にする笑点は、幼い頃の記憶と同じ顔触れが変わらずその明るさを放っていた。

 毎週また見るようになったのはそう、大学を卒業する前後からだ。国家試験がうまくいかず、この先どうしようかと考えながら一人東京で暮らしていた時代…今から思えば笑点は貴重な笑いの供給源だった。気付けば僕は毎回録画し、何度も見返し、一人笑っていた。ただ久しぶりに見た笑点には昔と異なる所があった。それは回答者席の一つの空席…そう、こん平さんが病に倒れたのだ。その空席に置かれた座布団には、主の帰りを待ち続けているような淋しさを感じた。やがて弟子のたい平さんが代打回答者として登場。こん平さんに届けと言わんばかりにそこからの笑点は本当に毎回お腹が痛くなるほど面白かった。しかし今度は先代円楽さんが病に倒れる。メンバーは交代で司会を務めながらまた一つ空いてしまった回答者席を埋めんとばかりに、飛んだり跳ねたりの名演を見せてくれた。

 そして僕が最も印象に残っている笑点40周年スペシャルが放送されたのが十年前の2006年5月。この回の大喜利は本当に…こんな言葉しか思いつかない自分が悔しいが、本当に神がかり的な面白さだった。メンバー全員天使に扮し、死後の世界を舞台にした『昇天大喜利』、そして先代円楽さんが復帰後最初にして最後の司会を務めた大喜利。メンバーの瞳にはうっすら涙も見えたように思うが全員がそれ以上の笑顔を見せていた。そして最後には病床のこん平さんからの手紙も紹介され、たい平さんが正式メンバーに昇格、新回答者として昇太さんが登場した。この回の録画は今でも僕の宝物になっている。僕が今の職場と巡り合い、働かせてもらうことになったのも、そしてこのクリニックが開院したのもこの歳なので余計に印象深いのだと思う。

 それからの笑点にも色々あった。先代円楽さんのご逝去、楽太郎さんの六代目円楽襲名、歌丸さんや木久扇さんの入院による番組欠席…それでも舞台はいつも笑顔で溢れていた。

 そう、笑っているのだ、どんな時もあの人たちは。メンバーが難病に倒れても「お前が毒を盛ったのか」と言い、「もう一人倒れたら俺が司会者だ」と笑わせる。高齢・泥棒・スケベ・貧乏・仕事がない・馬鹿・独身・友達がいない・腹黒・浮気者・オカマ…そんな一歩間違えれば不謹慎になってしまいそうな題材さえ、愛すべきキャラクターに変える。身近に迫った病苦や老い、死さえも笑いに変える。そしてそれを見ている誰もがわかっている…彼らがどれだけ強く、思いやりに溢れ、お互いをいたわっているかを。だから笑点を見ていると心があたたかくなるのだ。人間の素晴らしさを感じるのだ。

 素敵だと思う。素直に素敵だと思う。どんな悲しみや苦しみの中でも笑う…そんなふうに僕も生きていきたい。そんなふうに患者さんを導いていきたい。一人の人間としても心の医療者としても、笑点には教わることが多く、尊敬の念は尽きない。

 先月、50周年を節目に第一回放送から番組を支えた歌丸さんが大喜利の司会を引退した。最後に全員の座布団を取ってしまったのも、「過去にこだわらず新しい笑点を作れ!」という歌丸さんらしいメッセージだったと思う。「ありがとうございました」と頭を下げた姿を見て、思わずテレビの前で拍手した。本当に五十年の長きに渡り、あたたかい笑いをこちらこそありがとうございました。あなたが元気にしている心の数は、精神科医の比ではありません。葬式さえ祭りにしてしまう、そんな笑点のような心で僕もあれたらと思います。

 笑点が満五十年を迎えた今年、美唄すずらんクリニックも満十年を迎える。急に内輪話になるが、僕たちにとっても先月は大きな発表があった。そう、院長の交代である。当法人の最大の特徴は変化し続けること。良くも悪くも毎年同じということがない。動きのない所にエネルギーは起こらない…これが理事長の思惑なのだと僕は解釈している。
 というわけで今月から新院長が着任。数えてみると八代目。江別勤務の際には時々お話をさせて頂いていた先生なので、一緒に働けるのは楽しみである。そして今回美唄を去られた院長も引き続き法人の別部署におられるので、これからも何かとお世話になると思う。先に言っておきます、これからもよろしくお願いします。

 医療は病気を扱う仕事。病院には悲しみや苦しみを抱えた患者さんがいて、スタッフも厳しい現実の中で働いている。それでも笑っていたい。スタッフが辛気臭くては患者さんまで落ち込ませてしまう。
 笑う…人間に許されたこの特権はなんと単純で難しいことか。
 …笑おう。大変なのは百も承知、どうしようもないことも山ほどある。それでもやっぱり伝えていきたい。心得ておきたい。  …笑おう!

笑おう

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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