コラム

コラム2016年11月コラム「鉄道の秋 ~乗り込め、すずらんエクスプレス!~」

 最初に言っておくと僕は鉄道大好き人間というわけではない。時刻表を愛読することもないし、路線図を見ても別にワクワクしない。それでも一番好きな乗り物はと言われると、やはり鉄道と答えるだろう。

 広島県で過ごした中学・高校時代は通学手段が電車だった。まずはJR呉駅から呉線に乗って広島駅に向かう。海沿いを走る車窓からは穏やかな瀬戸内海が四季折折の風景を見せてくれた。
 呉線は単線のため仮に特急快速だったとしても対向電車を待つために結局駅に停車する。電車と電車がすれ違う時というのはお互いが「あ、どうも」と言っている感じでなんだか微笑ましい。戦争中には単線から複線にする計画もあったようだがその前に終戦を迎え、複線用に掘られたトンネルだけが残っている場所もある。結局レールを敷かれることのなかったそのトンネルはどこか寂しげで、不思議の世界に繋がっているようだった。

 車内はといえば、まだ案内のディスプレイ画面などはなく、雑誌の広告がたくさん天井から垂れ下がり時にはそれがサラリーマンの頭にかかっていた。さながらおでん屋ののれんをくぐって入店する時のようであった。夏場でも扇風機だけで冷房のない車両もあったし、かと思えば冬に座席の下から噴出する熱風は征服のズボンが焦げるんじゃないかと思うほど暑かった。

 朝は通勤者や学生で込み合っていてなかなか座れず、立ったまま眠るという技術を習得している人をたくさん見かけた。今から思えばあれはきっとノンレム睡眠だったのだろう。
 帰りは座れることもあり、携帯電話などなかった当時はみんな文庫本や週刊雑誌、英単語帳などをお供にしていた。僕にとっても呉駅までの小1時間は絶好の読書タイムで、『小説版刑事コロンボ』も『こち亀』も『ぼく地球』もここで読破した。

 友人と一緒に乗車した時などはその所業はまさに愚の骨頂に至る。「社内アナウンスで『か』の文字が読み上げられたらパンチ」という意味不明なゲームを考案。もう『か』の入る駅名はないなと油断していたら車掌の名前が『加藤』でパンチを食らったりした。他にも「わずか一分の停車時間でジュースを買いに行く」というゲームで間に合わず見知らぬ駅に取り残されたり、こっそり友人の鞄の紐を椅子に結んで降りられなくしたり、かと思えば眠っている時起こしてもらえず終着駅まで行かされるという逆襲を受けたりした。

 車内を観察するとそこには色々な人たちがいる。疲れた顔のおじさん、寝ているお姉さん、気品漂うおばあさん、さっきまで大騒ぎしていたのに友達が下車すると途端にたそがれるメルヘン少女。みんなそれぞれの人生の途中、それぞれの段階にいる人たちが同じ電車に乗り合わせしばし一緒に運ばれる…それがなんだか不思議だった。
 それでもガタンゴトンと揺れる車両はどこか心地よく、流れる景色を見ていると嫌な事があっても心が和んだりしたものだ。

 広島駅からは市内電車に乗って学校へ向かう。市電はJRよりさらにのどかで、ゆっくりのんびり町の中を進んでいく。全ての吊り革が振り子のようにお揃いのリズムで揺れているのがなんだか可愛くて僕はとても好きだった。同じ制服を着ている学生はもちろん同じ駅で降りるのだが、集団心理で誰も『次停まります』のボタンを押さなかったりする。まあ運転手さんはわかっていてそれでも停車してくれるのだけれど。

 市電は前にも後ろにも運転席があり、進行方向に向かって前の方しか使われない。車内が込んでいる時はこっそり後ろの方の運転席に座ったりもできた。もちろん操縦はできないが、一つだけ盲点がある。プオーンと鳴るあの汽笛だけは作動するのだ。それを鳴らしてしまうと、「後ろの人、出てください」とアナウンスされもれなくたくさんの白い視線を浴びることになる。くれぐれも真似しないように。

 そんなこんなで広島時代はJRと市電の日々だったが、大学に通った東京時代に最も利用したのは地下鉄である。地価何層にまで蜘蛛の巣のように張り巡らされたトンネル、その中を走る地下鉄は東京で暮らす人々の足だ。各線の接続駅や改札の位置関係・地上までの距離などを把握して乗換えをうまくやると、十津川警部もびっくりのスムーズな移動ができる。薄暗い地下道、地上へと会談を吹き上がる熱気を帯びた生暖かい風、その中を群れを成して黙々と闊歩する人間たち…まさに東京を象徴する光景だ。
 あと東京といえば、環状線や空港へのモノレールもあった。

鉄道の秋

 北海道にきてからは専ら新千歳と美唄の往復でJRを利用する。新鮮だったのは札幌で乗客が座席を進行方向に合わせて回転させること。その際には当然前後のお客さんとのやりとりが必要になるわけで、それを前提に取り入れられているこのシステムがすごいと思った。少なくとも肩が触れただけで喧嘩になることさえあった東京の車両の雰囲気では成し得ないことだと感じた。
 冬の車窓はまた趣があり、札幌から美唄までだんだん雪が深くなっていく様子はまるで絵巻を見ているようである。

 そういえば入職前に職場見学に来た時は北斗星を利用した。飛行機なら1時間半で行けるところをあえて半日以上かけて移動する…これはもう鉄道という乗り物の魅力のたまものだ。鉄道は乗り物であると同時にくつろぎの空間でもあるのだろう。昨今寝台車や食堂車がほとんどなくなってしまったのは本当に寂しいものである。

 そういえば子供の頃、家族旅行でもウルトラマン人形を持ち歩くのが好きだった僕はよくそれを電車の窓にかざしていたな。流れていく景色の中でウルトラマンが本当に空を飛んでいるように見えたものだ。時系列が急に幼少時に戻ってしまったが、今回のコラムは思いつくままに書いているのでまあそれもよしとしよう。

 僕の人生における鉄道との関わりはおおよそこんなところだ。鉄道…駅と駅を線路で結び多くの乗客を運ぶこの乗り物にはやはり深い情緒がある。駅のホームは旅立ちの場所でもあり別れの場所でもある。『なごり雪』『あずさ2号』『ホームにて』など鉄道や駅を題材にした名曲も数多い。

 特に蒸気機関車はレトロでありながらも時代を切り開いた力強さを持っている。古今東西の名作でも機関車の出番はとても多い。
 『オリエント急行の殺人』では一つの車両に集った乗客たちの濃厚な人間模様が描かれる。『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』では機関車の上を走ったり車両に落ちたりとアクションシーンの舞台となる。金田一耕助の映画シリーズでも機関車はラストシーンの寂寥感を演出している。教科書に載っていた芥川龍之介の『蜜柑』で、機関車の窓から夕焼けの中に少女が蜜柑を投げるシーンにあたたかいものを感じた人も多いのではないだろうか。

 さらに機関車はSFやファンタジーとの相性も抜群で、『BACK TO THE FUTURE』ではタイムマシンに改造された空飛ぶ機関車が登場し、『ONE PIECE』では島と島とを繋ぎ海の上を走る海列車なるものが登場する。地面以外を走る列車、というのも何故かとても絵になるのだ。
 その中でもやはり宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は秀逸と思う。あの時代に鉄道で銀河を旅する発想はすごい。正直これくらいの感想しか書けないのが情けないが、実は未だにあの作品が何を伝えようとしているのか僕にはわからない。面白いかと問われれば頭を抱えてしまう。ジョバンニ少年の体験は夢だったのか、カムパネルラ少年の幸福とは何だったのか、乗り合わせた乗客たちの姿は何だったのか、彼らは何を求めどこに向かっていたのか…よくわからない。それでも銀河を旅する鉄道があるのなら、やっぱり僕も乗ってみたいと思う。

 そんなわけで、内容が全くまとまっていないが今秋は鉄道に思いをはせてみた。先月末、一人の職員がおめでたい理由で退職した。彼女がくれたお菓子を食べながら考える。誰もが列車を乗り換えながら生きているんだと。たまたま乗り合わせた人たちとひと時楽しい時間を過ごしたり、悲しみを分け合ったりしながら、またそれぞれの駅で下車して旅を続ける。家庭、職場、友情、恋愛…全ては乗り合わせた車両なのかもしれない。生まれた時に手渡された切符は、きっと一人一人違っているのだ。
 そういえば『BLACK JACK』の最終回のタイトルも『人生という名のSL』だった。鉄道に人生を重ねるのは、きっと多くの人に共通する感性なのだ。だから鉄道は情緒的で、愛おしくて、どこか無常を感じる乗り物なのだろう。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン…。
 またあの振動に身を委ねてみたい。カムパネルラの幸福は何だったのかを駅弁でも食べながら考えてみようか。

鉄道の秋

 みなさんもぜひ電車に乗る時は流れる景色に目を向けてみてほしい。江別すずらん病院も、北広島メンタルクリニックも、そして美唄すずらんクリニックも…みんな車窓に見える場所にある病院です。
 鉄道を人生とするならば、心の医療はその沿線にあるのかもしれません。そのまま通り過ぎるのもよし、降りて立ち寄ってみるのもよし。勢いで書いたコラムのオチはまあ無理矢理こんなところです。

(文:福場将太 写真:カヤコレ〈鉄子〉)

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