コラム

2018年7月「終わりの始まり」

終わりの始まり

 今月は、年末に今年の重大ニュースとして扱われるような出来事がいくつも起こった。
 私立医科大学の不正合格問題、歌丸さんのご逝去、教団テロ事件死刑囚の刑執行、西日本の甚大な豪雨被害、そしてカジノ法案の可決。いずれも公的にはもちろん、私的にも思うところの多い出来事だった。

 とにもかくにもまずは不正合格の問題で騒がれている東京医科大学。それは紛れもなく我が母校。その母校愛の強さは僕も大好きだが、不正が事実ならなんともはや。今回の報道で久し振りに数人の同級生と思わず連絡を取り、みんな苦笑いしかなかった。また改めて受験とは何だろう、医師とは何だろうと考えさせられた。

 歌丸さんについてはもちろん幼少時からその勇姿は網膜に焼き付いている。父方の祖父とご容姿が遠目に似ていることもあり、祖父の逝去後も我が家ではテレビで歌丸さんを見ると思わず祖父の話題が出たりした。今でも毎週欠かさず楽しんでいる笑点、二年前の司会者卒業の時の挨拶は胸が熱くなった。本当にたくさんの笑いに感謝しかない。

 教団テロは戦後最大の不可解な事件として当時騒がれていたことを憶えている。日本を震撼させ、平成という時代に暗い影を落としたことを、当時中学生だった自分はどれほど認識できていただろうか。歌手の嘉門タツオ氏のこの事件を題材にした楽曲を仲間と文化祭のステージで演奏するなどしていた。その曲では「能天気な芸能ニュースが流れている時がこの国の平和の証なのかボケ」と歌われていたが、昨今の情勢を見てもますますそのボケ具合は拍車がかかってしまったように思う。

 そして西日本豪雨。中でも凄まじい被害を受けた広島県は我が故郷。家族や親戚も多く暮らしている馴染みの町の名称が日夜ニュースから聞こえてきた。これまでも台風や地震の被害がなかったわけではないがそれでも穏やかなイメージが強かった瀬戸内の町、それが見る影もない姿になったのは胸が痛む。有難いことに身内や友人から命の危険の報せはなかったが、それでも断水や流通の停止、交通手段の断絶は深刻だ。ここでも数名の旧友と連絡を取ったが、みんな戸惑いを隠せていなかった。

 カジノ法案については、どうしても仕事柄ギャンブル依存症への影響を考えてしまうが短絡的に悪とするわけにもいかない。アルコールがそうであるように、依存症のリスクを含んでいるものは一方で世の中に大きく貢献してもいる。ただ人は一度蜜の味を知ればもう知らなかった頃には戻れない。どれだけ飲酒が関連した悲劇が起こっていても今の日本で禁酒法を作ることはもう不可能。カジノも一度始まればもうなかった社会には戻れなくなるだろう。
 そうなればいかに必要な知識を普及するかが重要になる。アルコール、薬物、ギャンブル、インターネット…それ自体は善でも悪でもない。はたしてもたらされるのは不幸か幸福か。それは扱う人間にちゃんと必要な知識が備わっているかどうかにかかっている。

 このように最近は本来は一つ一つ足を止めて自分の心と向き合いたい出来事が立て続けに起こった。もちろんサザンオールスターズの40周年やワールドカップなど明るい話題もあったのだが、どうしても物悲しさを強く感じてしまう7月となった。
 そしてこんな感覚は以前にも経験したのを思い出す。あれはそう、平成10年、高校3年生の夏。何かと寂しさや悲しさを感じる出来事が立て続けに起こり、「ああ、終わるんだな」と漠然と感じたのを憶えている。確かに高校生活は終わるのだが、何か人生の一つの時代が終わるようなそんな寂寥感だった。

 あれから二十年。またそんな感覚が心を少し占有する。もちろんこれからやりたいこともまだまだあるし、毎日を楽しさも感じながら暮らせてもいる。それでも今、何かが終わり始めている。平成という時代の終わり、あるいはそれ以上の何かが。

 大きな流れはなかなか変えられない。それでも個人の規模でなら何度終わってもまたやり直せる。生まれ変われる。高校時代が幕を閉じた時、確かに終わったものもあったがそこから始まったものも多くあった。
 だから終わるのは仕方ない。また始めていけばいい。そして憶えておこう、今の感慨を。そして大切な人たちには会えるうちに会っておこう。
 終わりの始まりに際し、そんなことを考えている。

(文:福場将太 写真:カヤコレ 考察協力:瀬山夏彦)

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