コラム

2018年11月「語らいの秋 ~患者が去ると医者は落ち込む?~」

語らいの秋

 僕たちの業界で近年注目されているのは当事者研究に代表されるミーティングの手法だ。同じ病や生き難さを抱える当事者同士が集って語り合うことは、病の回復の上でも悩みの解消の上でも大きな力を持っている。そしてそれはもはや患者さんだけのものではなく、支援者にも応用される手法だ。例えば医者は医者と言う生き難さを、看護師は看護師という生き難さを抱える当事者だ。そんな支援者同士が集って語らうミーティングだって今や日本各地でまことしやかに催されている。

 かくいう僕も時々ではあるが、道内某所で催される心の医療者のミーティングに顔を出している。テーマはその時の会話の流れで決まっていくので、毎回どんな話になるのか、どんな結論に帰着するのかが楽しみだ。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、自分一人でもう考えつくしたと思っていたテーマだって、みんなで話していれば必ず新しい視点や着想が生まれる。もれなく素敵なお土産をもらえるのだ。そのお土産は普段の診療のヒントになったり、落ち込んだ時の癒しになったり、小説や音楽創作のアイデアになったり、とにかく僕の血となり肉となって役立ってくれている。
 例えば精神科医数名で集って「スーパー精神科医とはどんなものか」というテーマで語らった時があったが、そこでもらったお土産は今でもこの仕事を続ける上で大きな糧となっている。今回のコラムでは、先月ミーティングに参加した際のお土産を一つ紹介したい。

 今回語らったのは精神科医二名と看護師二名。そして話題は「自分が担当していた患者さんが治療半ばで病院から去ってしまった時に辛い気持ちになるのは何故だろう」というもの。病気が良くなって笑顔で病院から卒業するのはもちろんこの上ない喜びなのだが、そうではなく何らかの不満や不和によって患者さんが去っていくのは悲しい。無力感、喪失感、注いでいた情熱まで患者さんと一緒に去ってしまったような燃え尽き感、こちらの支援が相手のニーズに合っていなかったのかという絶望感、そんな自分への怒りも相まって医者は大きなダメージを受ける。時には患者さんへの陰性感情まで生じてしまうことさえあるのだ。

 今回も語らいの中で色々な意見が出た。
 「本来病院を選ぶのは患者さんの権利。例えばお客さんがいつもと違う店に飲みに行ったからといって行き付けの店の親父が怒ることはない」「いやいや医療費は患者さんが全額負担するわけではないから一般サービス業の消費者と同様には考えられない」
 「確かに医療に不満があれば患者さんは去るかもしれない。しかしなんでもニーズに応えて満足してもらうことが病院の役割ではない。回復に反することならいくら患者さんが求めても断わらなければならない。この点も一般のサービス業とは違う」「いやいやサービス業の基本はいかに顧客のニーズを整理して小さくするかだから同じだ。例えば家を建てる時に全部注文どおりに実現する建築家はいない」
 「医者も人間だから患者さんとの相性はしょうがない。患者さんへの思い入れが強まるほどどこかで感謝を期待してしまうのも人情」「それより患者さんに挨拶もなく転勤したり退職したりする医者だっている、こっちの方が失礼だ」「いやいやそれくらい執着がない方が冷静で公平な診療ができる。入れ込みすぎは自己満足にしかならない」
 「昔は自分の担当患者に他の医者が触れることさえ許さない医者だっていた。患者さんが転院したいと言ったら不機嫌になる医者もいた。今でこそセカンドオピニオンという言葉が少しずつ広まってきているけど、昔はとても他の病院に移りたいですなんて患者さんから言い出せなかった。そんなに気を使わせるのは申し訳ない」「確かに一人の医者に長年かかることで生まれる良い効果もあるけど、だらだら続けてしまって終わり所を見失ってしまう場合もある」
 「医者不足の地域では患者さんに病院を選ぶ選択肢がなく、病院が殿様商売になってしまう危険がある。やはり自由に転院できる方が患者さんにとっても病院にとってもよいはずだ」「しかしころころ病院を変えて回復から遠ざかってしまう患者さんもいる」
 …などなど、とても全ては書ききれないが、三時間の語らいの中で色々な見解に触れることができた。

 そんな中で僕の心に残った意見があった。「主治医という言葉があるけど、病気を主に治すのは誰よりもまずは患者さん本人じゃないか」。そう、治療の主役は患者さん自身に他ならないのだ。
 テレビの医療ドラマでも医者側が主役で描かれているのでつい勘違いしてしまうが、患者が主役という基本に立ち戻れば多くのモヤモヤは晴れる。そう、患者さんが去っていった時につらくなるのは「あなたは私の患者」と無意識に思っているから。でも医療は患者さんが主役のドラマなのだから、「あなたの医者が私」と考えればいい。たとえ患者さんが去ってしまったとしても、患者さんのドラマはまだ続いている。カメラは向こうにあるのだ。自分が出演するシーンが終わっただけのこと。脇役が腹を立てるのはお門違いなのである。
 どうしても医者には「自分が治したい」「幸せになる手助けを自分がしたい」というエゴがある。でもやっぱりそれを押し付けてはいけない。これは患者さんが主役のドラマなのだから。

 もちろんもしかしたらドラマの展開によってはまた出演のオファーがあるかもしれない。その時は過去の反省も踏まえてもう一度全力を尽くせばいい。もし自分の再登場がなくても、患者さんがどこかの病院で回復して元気になれたのならそれは間違いなくハッピーエンド。エンドロールはそこで流れるのだ。
 もちろん主演は患者さん。助演がご家族や友人といったところ。まあもしよかったら小さく「元担当医A」というモブキャラくらいの扱いで最後の方にクレジットしてもらえたら嬉しい。どうしてもそれくらいの期待は持ってしまうのが医者の性分なのだろう。

 そんなこんなで秋の夜長。みなさんもモヤモヤした時は誰かと語らってみてください。

(文:福場将太 考察:SUPAの会 写真:カヤコレ)

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