コラム

2020年01月「凍てつく家」

凍てつく家

 年末年始、実家へ帰省するに当たり北海道の家を長く離れる際には、必ずやっておかなくてはならないことがある。それは『水落とし』、水道管の中の水が凍らないように、あらかじめ残った水を抜いておく作業である。北国では当たり前の習慣だが、瀬戸内出身の僕にはもちろん知識も経験もなかった。それ以外にも、窓が二重になっていたり、壁に通気孔があったり、家全体を暖めてくれる強力なストーブがあったり、不凍液が常備されていたりと、北海道の家には多くの防寒対策がなされている。

 それでも休暇を終えて戻ってきた時、家は激しく冷え切っている。トイストーリーのおもちゃたちが遊んでいた様子はなく、一週間無人だった室内の空気はとても冷たく、床は氷の上に立つようだ。今年は今のところ雪が少ないので余計に寒かったようだ。雪が少ない方が寒いというのも、道産子には当たり前の常識である。

 改めて感じた。人間一人がいなかっただけで家はここまで冷え切る。人間一人の持っている熱エネルギーは馬鹿にできないのだと。雪山の遭難者も、一人の時に比べて二人の場合の生存率は格段に跳ね上がる。もちろんこれは身を寄せ合うことで生じる熱エネルギーだけでなく、励まし合うことで生じる精神エネルギーも付加された結果だろう。

 建物は人がいなくなると途端に傷むという。たった一人でも住んでいて、呼吸して、動いて、熱を放って、時々窓を開けて風を取り入れる。それだけで家は元気でいられる。
 きっと、心も同じだろう。

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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