コラム

2020年03月「こんな時だからこそ」

こんな時だからこそ

 年度末、本来なら新年度へ向けての予定や展望を話し合う楽しみな季節であるが、今年はそんなわけにもいかない。それは言わずもがな、新型コロナウイルスの感染拡大の問題が、何をするにもまず先に立ってしまうからだ。
 思えば、1対1のカウンセリングにしても、複数で机を囲むミーティングにしても、精神科治療の多くは顔と顔を突き合わせて語らうのが基本である。そのため感染予防の観点からすれば、全てが濃厚接触になってしまう。先月から今月にかけて、いかに感染を予防しながらいかに心の診療を行なうかという、大きなジレンマに立たされることとなった。ゆっくり語らうことを封じられた時、精神科医がいかにやりにくいかを思い知らされた。

 患者さんには一人一人に適した通院のリズムがある。デイケアでみんなと過ごすことで保たれている安定がある。それを乱すことは苦渋の決断であったが、今回は致し方なし。病状が落ち着いている患者さんにはお薬を長めに処方して通院の頻度を減らしてもらったり、デイケアも時間短縮や外出プログラムの中止などの措置を講じた。もちろんスタッフも毎朝の検温、不調を感じたら無理せず休むという勤務形態を徹底した。

 しかし、逆にこんな時だからこそできることもある。外来の患者さんの数を減らした分、空いた時間で普段後回しになりがちな書類作業、スタッフとの話し合いをした。デイケアにおけるミーティングや勉強会も内容を変更し、新型コロナウイルスについてのことや、不安への対処法をみんなで考えた。
 少々不謹慎な言い方になってしまうが、非日常には日常を見直すチャンスがある。いつもと違う状況だからこそわかる患者さんの症状や、不安や緊張の中でこそ学べることもたくさんあるのだ。

 当たり前の仕事ができない、予定していたイベントができない、努力してきた試合ができない…たくさんの悔し涙が報じられた。今は耐えるしかない。いつか再びチャンスが来た時、温存したエネルギーを爆発させるのだ。
 奪われたらその分何かを意地でも掴み取れ。傷付いたら傷から何かを意地でも学び取れ。

 こんな時だからこそできることをしよう。

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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