コラム

2014年02月コラム「シンクロニシティ」

 みなさんはこんな話を聞いたことはないだろうか。とある画家が風景画の中に1つの店を描きこんでいたが、十数年後に画家は何気なく入ったその店で事件に遭ったと。とある俳優がいきつけのバーにボトルキープしていたが、そのボトルナンバーがその俳優の命日と同じだったと。幼い頃からよく夢に出てきた景色が、将来自分が暮らすことになる土地の風景だったと。ある人からの贈り物が壊れた時、気になって電話したらその人が病に倒れていたと。…シンクロニシティなんて呼ばれる現象だが、はたしてこれらは何を意味するのか。予知?第六感?神様の悪戯?  実は僕自身もそんな体験をやたらにしている人間だ。大袈裟ではなく少なくとも週に1回くらいそんなことがある。例えばふと思い出した話があって、その後何気なく聞いていたラジオにその話題が出てきたりする。何気なく昔好きだった歌手をネットで検索したら、ちょうど活動再開していてその限定CDの注文に間に合ったりする。ラジカセで音楽を流したらそのドラムの音と近所で工事している金槌の音のリズムが完全に一致していたりする。ちょうど昨日読み返していた昔のカルテの患者さんが、数年ぶりに今日受診してきたりする。今も医局でこのコラムを書きながらカップラーメンを食べていたら、食べ終わったところでゴミ回収の清掃員さんが回ってきた。こ、これはどういうことなのか?僕は超能力者なのか?

 この世界で起こる数々のシンクロニシティ…その正体は至極単純、そう「たまたま」である。何のことはない、ただの偶然だ。いやいや偶然でこんなに一致するわけがないなんて反論する人もいるかもしれない。確かにその出来事だけを見ればそうかもしれないがこの世の中には常に無数の出来事が起こっていることを忘れてはいけない。起こる全ての出来事がイレギュラーで他と全く重なり合わない方が不自然である。そう、偶然は必然的に起こる。ただしそれはいつどこで起こるかわからず起こる時は突然なのでそれに立ち会った人は奇跡とか運命とかを感じてしまうだけの話だ。あと「たまたま」ではないとすれば「こじつけ」だろう。1つの出来事の中にはこれまた無数の要素が含まれている。他の出来事と何らかの共通点を見つけ出すのはさほど難しいことではない。どんな出来事だってとらえ方次第で奇跡や運命に仕立て上げられる。

 こんな言い方をしてしまうとなんてドライだと思われそうだが、まあこれはあくまで理系的な解釈。何でもかんでも感動するのはどうかと思うが、僕だって素直に奇跡とか運命とかを信じたくなる時はある。前に自分でも珍しいくらいに落ち込んでいた時に普段連絡なんかしてこない有人が突然電話をかけてきたことがあった。人生のどん底にいたような気がしていた自分にとっては、その能天気な「おう、最近どうしてる」って言葉がとても嬉しかった。あんなに自分が落ち込むのも、あいつが電話をかけてくるのもそれこそ5年に1度あるかないかだけど、それが重なった最高の「たまたま」。こんな時は神様に感謝したくなるものだ。1人で過ごしている誕生日にコンビニで買い物をしたらその金額がたまたま誕生日と同じだったり、居残り当番になったおかげでたまたま忘れ物を取りに戻ってきた好きな子と一緒に下校できたり…もしかしたら僕たちはそんなシンクロニシティに何度も心を救われながら生きているのかもしれない。

 単純だ、人間ってやつは。みなさんだってそうでしょう。でもいいんじゃないか、たまには素直に奇跡を信じてみたって。うちの両親だって見合い結婚のくせに幼少時たまたま近所に住んでいた時期があることが後からわかって「やっぱり縁があったんだね」なんて騒いだりしている。おめでたいけどいいじゃないか。同郷だとか同期入社だとか同じ曲が好きだとか、そんなことで運命を感じて相手を大切に思えるのならそれもいいじゃないか。たまたまの奇跡、こじつけの運命でおおいに結構。それらはきっと幸福を飾るちょっとしたアクセサリーだ。

 いったい理系なのか文系なのかわからない話をしているが、最後に精神科医としてシンクロニシティのメカニズムを考えてみよう。みなさんは「投影」と呼ばれる心の機構をご存知だろうか。簡単に言うと自分が持っている認めたくない感情を無意識に相手が持っていると考えることだ。例えば本当は自分が相手を嫌っているから関係がうまくいかないのに、それは相手が自分を嫌っているからだと考えること。つまり「投影」とは相手という鏡に自分の認めたくない姿を映すことだ。そしてこの先には「投影同一化」なんて現象も起こる。これはどういうことかというと、投影をした状態で相手に接しているうちに相手が本当にその投影通りになってしまうこと。先ほどの例で言うと「本当は自分が相手を嫌っているのに相手が自分を嫌っていると考える」→「嫌われていると思って相手に接するその態度に相手もだんだん不快になる」→本当に相手が自分を嫌いになる」ということ。つまり最初は勝手に思っていただけのことが相手に影響を与え本当にそうなってしまうということだ。
 僕はこれでシンクロニシティも説明できるんじゃないかと思ったりする。本当は自分が神様を好きなのに自分は神様に好かれていると考える、そうやって生きているうちに本当に神様から好かれて奇跡が起こる。そう、つまりはシンクロニシティとは「神様への投影同一化」。この解釈はいかがだろう。  …はい、すいません。そんなバカなこと言ってる暇があったら精神医学の本でも読め、まさにその通りでございます。

シンクロニシティ

(文:福場将太 写真:美唄メンタルアルピニスト)

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