コラム

2014年11月コラム「語学の秋 ~心を意味する言葉~」

 大学で研究をしている友人と話しているとこんなことを聞く…「日本語は論文を書くのに向いていない」と。これは確かにその通りだと思う。日本語は実態をぼやかす言い回しが多すぎるのだ。そんな言葉を並べれば一見すごいことを言っているような雰囲気にはなるが、落ち着いてよくよく聞いてみるとたいしたことは言っていないなんてことがよくある。記者会見などの映像を見ていても思う。例えば「然るべき時がきたら取り組み始めたいと思います」なんてセリフ、これには全く意味がない。まず「然るべき時」とは一体いつなのかさっぱりわからない。そして「取り組む」という言葉は実際にやるという意味にもやろうとして動き出すという意味にもとれる。しかも「取り組み始める」となればますますどの段階なのかわからない。極めつけは最後の「~たいと思います」、これによってやると約束したわけではなくただ思っただけですという逃げ場も生まれる。結局「何月何日にやります」と明言できないから誤魔化しているだけのセリフに過ぎないのである。こんなセリフばかりが飛び交っている議論は不毛だ。「ひとまず今はあれですから」→あれって何だ?「おおよその範疇にあります」→どこにあるんだ?「疑いを持てる可能性があります」→そりゃ可能性くらいいつでもあるでしょ。「断言していいかもしれません」→結局断言しないんじゃん。「もしかしたらないこともない」→あるのかないのかはっきりしろ!
 …まあこんな感じでたくさん話しているくせに結局何も言っていないことが多々ある。しかも最近は何故か横文字をそのまま説明に使う人が増えているがこれもよくない傾向だと思う。横文字を並べれば専門的な正しいことを言っている雰囲気は出るが、結局それだけで終わってしまう。やっぱりちゃんと日本語に置き換えることができる言葉こそ本当に理解している言葉でしょう。その意味ではルネッサンスを「芸術復興」、デモクラシーを「民主主義」と見事に日本語を当てた当時の人々は偉大だと思う。もっと身近な例で言えば洋画や洋楽の邦題も近年全くセンスがない…というよりも横文字そのままタイトルにしてしまっているものばかりだ。スター・ウォーズのエピソード1が公開された時、果たして日本人のどれだけが副題の「ファントム・メナス」の意味がわかっていたのだろう。インディ・ジョーンズの最新作も「クリスタルスカルの王国」…何じゃそりゃ。かつての「魔宮の伝説」「最後の聖戦」のような切れ味のよさはどこに行ってしまったのか。  どうも日本人というやつはなんとなくそれっぽい雰囲気がある言葉ならそれでよしとしてしまうらしい。そしてそれを可能にするのが日本語という厄介な言語なのだ。

 とまあ日本語の悪口を随分書いたが、逆に言えば日本語は雰囲気や感情を表現するにはとても優れていると思う。つまり文学や音楽の世界において日本語の表現力は本当に素晴しい。「時々」と「時折」、「少し」と「わずか」のように意味合いは同じでも雰囲気が異なる言葉は数多くあるし、「しばらくは」「それなりに」のように具体的に特定しない言葉もたくさんある。「そうやもしれん」「知らなんだ」のような古風な言い回しもまだまだ用いられている。そして「如才なく」のように場合によって真逆の意味を醸し出す言葉まである。これらをいかに選択するかが作家の技量であり、名作と呼ばれる作品ではまさにそれが絶妙なのである。

 そんなわけで日本人のみなさん、日本語の長所と短所をしっかり把握してこの愛しい言語を使おう。現実的な問題を話し合っているのに、曖昧な表現で煙に巻いてはいけない。特に目立つ場所で責任ある発言をする立場の人、そこははっきり言ってください。難しい言い回しや比ゆなんて結構、わかりやすい単語で簡潔に正確に話してください。お茶を濁すだけの言葉なんていらない、言えないのなら黙っていた方がわかりやすい。メッセージを聞くみなさんも騙されてはいけない。「なんとなくわかったような気がする」ではわかってないのだ。
 逆に作品を生み出す立場の人、それはもう存分に技巧を凝らしてください。小説や歌詞においては明白な意味など不要、むしろいかに雰囲気を醸し出せるかが勝負。受け取り側も「よくわからないけど感動した」でよいのだ。

 言語学者でもない一個人が偉そうに書いてるが、実は職務上この日本語にはとても悩まされる。精神科医療はもちろん医学、医学は科学的でなくてはならない。心を意味する言葉はたくさんある。精神・心理・感情・気分・気持ち・心持ち・胸の内、胸中、思い…などなど。小説や歌詞ならこれらは自由に使えばよいのだが、論文やカルテではそうはいかない。学術用語としてはこれらはそれぞれ違う意味を持っているのだから。医療記録を書いていると日本語の素晴しい表現力につい頼りたくなってしまうが…文学的にしてよい場面と科学的でなくてはいけない場面はちゃんとわきまえなくてはならない。
 毎月デイケアの合唱で歌う曲の歌詞を憶える時も実はここが一番苦労する。赤いスイートピーでは「泣きそうな気分になるの」、水色の手紙では「泣きそうな心を託します」、真夏の果実では「泣きたい気持ちは言葉にできない」。う~ん、こっちは気分であっちは気持ちで…こんがらがってしまう。でも逆に言えば心を意味する言葉はたくさんあるのに作者はどうしてこれを選んだのかな、と考えることもできる。そんなことに多大なる興味を抱いてしまう私は精神科医に向いているのかいないのか。

 そんなこんなで働いているうちに、美唄メンタルクリニックは来月開院8周年!

語学の秋

(文:福場将太 写真:カヤコレ)

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