コラム

コラム2017年2月★スペシャルコラム「刑事カイカン 二人のタイムカプセル①」

*このコラムはフィクションです。

■プロローグ

 青の絵の具に白の絵の具を少し足してたっぷりの水で溶かす…春の空はそんな水色をしている。浮かぶ雲はパレットの片隅に溶け残った白い絵の具のよう。柔らかい日差しは太陽の暖かさを地面まで運び、風にはそっと新しい命を受けた草木が薫っている。  麗らかな昼下がり、休日の校庭には二人の少女の姿があった。どちらも紺色のスカートに胸には紫色のスカーフを結わえたセーラー服。プラタナスの木の下をクルクル回りながら、まるでラッパを手にした天使のように底抜けに明るい笑い声を交し合っている。他には誰もいない世界。そこはいくつもの光に包まれていた。  やがて少女の一人が悪戯っぽくポケットからカメラを取り出す。照れるもう一人の少女を木の前に立たせ、2メートルほど離れた場所からファインダーを覗いてあれこれポーズの指示を出す。  すると木の前に立った少女が何かに気が付いたように指差す。カメラマンの少女がそちらを向くと、用務員のおじさんが歩いていた。彼女はすかさず駆け寄ると頭を下げてカメラを手渡す。おじさんはニコニコ笑いながらそれを受け取った。  カメラマンを交代した少女は急いでもう一人の少女の隣に並ぶ。目と目を合わせて微笑み合うと、二人はレンズの方を向いた。カメラを構えたおじさんの後ろには三年間通った中学校の校舎。いくつもの思い出が二人だけの記念撮影を見守ってくれている。 「じゃあ撮りますよ。お二人はお友達ですか?」  おじさんにそう言われ、少女たちはとびきりの笑顔で答える。 「はい」 「そうですか。ではよろしいですか?はい、チーズ」

 …パシャ。

■第一章① 〜ムーン〜

 私の名前はムーン、警視庁捜査一課の女刑事である。もちろんこんなふざけた名前の日本人がいるはずもなく、ムーンというのは職場上のニックネームのようなものだ。これは一般の方はあまりご存知ないのだが、警視庁捜査一課はミットと呼ばれるいくつかのチームに分かれており、私の所属するミットではお互いをニックネームで呼び合うのが古くからの慣例らしい。ちなみに私の上司はカイカンなる私以上に奇異なニックネームで呼ばれている。
 そんなミットに配属されてもうじき2年。ちゃんと仕事を続けられているのは喜ばしいことだが、今年の春の訪れだけはどうしても嬉しさより憂いを強く感じてしまう。

 …ピピピピピ。
 携帯電話のアラームによって私は目を醒ました。まるでその前から目覚めていたかのようにスムーズに。もしかしたら何か夢を見ていたのかもしれないが…思い出せない。
 布団から手を伸ばしアラームを止める。そして着信がないことを確認。
 …3月1日、月曜日。
 画面のその文字が飛び込んでくる。上半身を起こして思わず小さな溜め息。
 ついに3月が来てしまった。私はベッドから出ていつもの殺風景な部屋に立つ。そしてもう一度溜め息を吐きかけた時、再び携帯電話が鳴った。今度はアラームではなく着信のコールだ。
「はい」
 慌ててそれに出た私に告げられたのは現場急行の指令。時刻は午前7時半。朝食を摂る時間は奪われたが、おかげで余計なことは考えずにすみそうだ。
 身支度を整えて愛車に飛び乗る。イグニッションキーを回すと寝起きの悪いエンジンは不機嫌そうに嘶く。動き出す東京の町並み…まだ冷たさの残る朝の空気を切り裂くように私はアクセルを踏み込んだ。

「…こりゃ亡くなられてからかなり時間が経ってるね」
 私の隣で低い声が言う。ボロボロのコートとハットに身を包み、長い前髪で右目を隠したこの異様極まりない男こそ私の上司・カイカン警部である。
「ええ。地中で完全に白骨化していますので、少なくとも埋められてから5年以上は経過しているだろうと先ほど監察医の先生もおっしゃっていました。詳しい検査はこれからですが…」
 私は手帳のメモを見ながら答える。
「遺体が白骨化するまでに必要な時間はもちろん環境によって大きく差が出ます。通常は地中よりも地上の方が早いです。ですから地上で白骨化させてから地中に埋めた、という場合も考えられますが…この遺体はご覧のとおり衣服を身につけていますのでその可能性は低いかと」
「さっすがムーン、お見事」
 どうせ本気ではない誉め言葉をかけられても嬉しくない。
 それにしてもこの変人の下に着いてもうすぐ2年とは…着任当時は絶対やっていけないと思ったものだ。全く慣れとは恐ろしいもので、ムーンと呼ばれることにも違和感が薄らいでいる。順応というのか麻痺というのか、とにかく時の流れというやつはこうやって大抵の物事を受け入れさせてくれる。後悔してもしきれない過ちでも、身を裂かれるような痛みでも…いずれは薄らいで忘却の彼方へ消えていくのだ。
 ハア…今私の胸を占有しているあの悩みもさっさとそうなってくれたらいいのに。おっといかんいかん、勤務中だ。
「そんな、基本的なことですよ」
 警部にそう返しながら改めて現場の状況を観察する。
 通報を受けて駆けつけたのは南新宿の外れにある『五本桜公園』。中央には噴水、それを囲むような散歩道、その周りには子供たちが遊べる広い土壌が敷かれた大きな公園だ。敷地内には多目的ホールも併設され、近隣住民の憩いの場となっていることが伺える。園内の雰囲気はとてものどかで、どこか懐かしさを感じる憧憬も含んでいた。
 そして公園の片隅に並ぶのは五本の桜…おそらくこれが名称の由来にもなっているのだろう。もう花も葉もない古い桜だが幹の太い立派な木だ。それが3メートルほどの等間隔で園内を見守るように植えられている。
 しかし残念なことに、その五本の桜の一本…ちょうど真ん中の木の根元から人間の白骨遺体が発見されたのだ。深さ約1メートルの位置、うつ伏せの格好で。
 警部は掘られた穴のそばにしゃがみ、じっと中を覗き込む。現在時刻は午前10時。一応公演は現場検証のため立入禁止にしているが、入り口付近には少し人だかりができていた。マスコミの姿も見える。
「警部、これまでにわかっていることをご報告してよろしいですか?」
「どうぞ」
 立ち上がって警部は答える。そう、この人が現場に到着したのはほんの今し方。私が来たのが午前8時だから随分な重役出勤だ。まあこれもいつものこと…現場検証が落ち着いた頃に臨場して情報をまとめて聞くのがこの人のやり方らしい。
「では、始めます。まず遺体発見の経緯ですが…」
 手帳を見る。そしてできるだけ正確に伝わるよう心掛けて私は話す。
 警察に通報があったのが今朝の7時17分。通報者は公園の近所に住む志賀という老人。彼は愛犬を連れて日課の散歩で公園内を歩いていたところ、桜の木の下で腰を抜かして声を上げている男を発見した。どうしたんですかと駆け寄ると、男の衣服は土で汚れ、傍らにはスコップが落ちていた。そして木の根元には深く大きな穴…志賀がその中を覗き込むと土から人間の白骨遺体が見えていた。腰を抜かした男は混乱しており事情を尋ねても埒が明かない。そのため老人は急いで自宅に駆け戻り、警察に通報したというわけだ。しかし彼が再び公園に戻ると、そこにもう男の姿はなかった。
「ナルホド」
 独特のイントネーションでそう頷くと、警部は穴のそばに落ちているスコップを見た。
「いつもわかりやすい報告をありがとう、ムーン。でも一つ気になったんだけど、あれはスコップじゃなくてシャベルでしょ?」
 予想外の箇所に質問が入った。
「え?スコップじゃないですか」
 50センチほどの長い柄、先の金属部分に足をかけ地面に差し込んで土を掘る形状…どう見てもこれはスコップだ。
「シャベルっていうのは園芸で使う小さい物ですよ、警部」
「何を言ってるんだい?小さいのがスコップで、これみたいな大きいのがシャベルじゃないか」
 どうやら警部と私の中でスコップとシャベルの認識はあべこべらしい。子供の頃からそう呼んでいるので私の記憶に間違いはないと思うが…。どうせこの変人のことだからまた意味不明なこだわりを持っているのだろう。
「そうでしたっけ、わかりました」
 ここはこちらが折れておこう。それより本題は事件のことだ。
「それでですね警部、穴のそばで腰を抜かしていた男性は未だに見つかっていないんです」
「遺体を発見した男は忽然と姿を消してしまったわけだね」
「はい。現在志賀さんには南新宿署で似顔絵を作成してもらっています」
 そう、これが明らかな殺人事件であれば緊急配備を敷いてその男を追うべきなのだが現状ではまだそう断定することはできない。遺体の身元も不明であれば死因も死亡時期も不明、いつここに埋められたのかもわからないのだ。状況から考えて男が穴を掘って遺体を見つけたのはほぼ間違いないが、現時点ではあくまで彼は発見者。警察と係わり合いになるのが嫌で姿を消す発見者は珍しくないからそれだけでその男を疑うわけにはいかない。
「それにしても…その男性はなんだって朝っぱらから桜の木の根元を掘ってたんだろうね」
 警部の言葉に私も考えを巡らせる。
 そう、そこが一番の謎だ。まさか遺体が埋まっていると知っていたわけじゃあるまいし。腰を抜かしていたという話から考えても、その男は何か別の目的で穴を掘っていたに違いない。果たして公園に大きな穴を掘る理由とは…?
「う〜ん…」
 唸りながら警部はポケットから細く小さな物体を取り出して口にくわえる。タバコではなくおしゃぶり昆布。これも今更ツッコミを入れても仕方のないこの変人の習慣。
「桜の木…犬…穴を掘る…待てよ?」
 穴の中を見つめていた警部が思いついたようにこちらを見る。
「桜に犬って…もしかしてその男性は花咲かじいさん?ポチに言われて穴を掘っていたとか」
「警部、ふざけている場合じゃありませんよ。志賀さんの話ではその男性は中年でおじいさんではありません。それに犬を連れていたのも志賀さんであって…」
「フフフ、わかってるよ。それにここ掘れワンワンで死体が出てきたんじゃシャレにならないからね」
 まったくこの人は…。それにしても、確かに桜の木の下に死体が埋まってるなんてまるで都市伝説だ。
「でもまあムーン、便宜上はその消えた男性を花咲かじいさん…じゃなくておじさんと呼称して話を進めようか」
 …なんでやねん。
「果たして花咲かおじさんは何故ここを掘っていたのか、そして彼の素姓は一体何者か…これが最初の謎だ」
 警部はそう言ってからまたしばらく唸って考えていたが、急に真面目な声に戻って私に言った。
「遺体の身元については何もわからないの?」
 気を取り直して私も答える。
「はい。衣服と骨盤の大きさより性別は男性、年齢は二十代から三十代。今のところわかっているのはここまでです。ただズボンのポケットから財布が発見されまして、土にまみれてかなり傷んでいましたがカードも入っているようなので…慎重に復元すればここから身元がわかるかもしれません」
「…了解。死因は?」
「今のところ何とも言えません。なにせ白骨ですからね。死亡時期も含めて、監察医の先生の手腕に期待ってところです」
 そして私は警部の許可が出次第遺体を司法解剖に回すことを伝えた。警部はもう一度しゃがみ込み穴の中の遺体を見つめたが…特に発見はなかったようだ。そのまま立ち上がると、昆布をポケットにしまってから「よろしく」と言った。

 遺体が運び出されていくのを見届けてから警部と私は南新宿署に向かった。そこで志賀老人の証言を元に作成された花咲かおじさんの似顔絵を確認する。
「ナルホド、これが…」
 有島という若い署員から紙を受け取る警部。前髪で隠れていない左目で似顔絵をまじまじと見つめている。私も隣からそれを覗き込んだ。
 …男の年の頃は40歳前後。どちらかというと小顔で少し垂れ目。さほど特徴的な顔ではないが、顎の部分に気になるものがある。
「この顎の書き込みは…傷ですか?」
 警部もその箇所について質問した。有島は少し照れながら「実はこの似顔絵は僕が描いたんですけどね」と説明を始める。
「志賀さんによると、確かに男の顎に傷のようなものが見えたんだそうです。まあ相手は慌てふためいていましたし、志賀さんも白骨を見て驚いていましたからじっくり観察したわけではないでしょうけど。たまたま泥が付着していたとかではなく、あれは古傷だろうとおっしゃってました」
「そうですか。それで…この男性の正体はわかりそうですか?」
「すでに公園の近隣住民にはこの似顔絵を見せながら聞き込みを開始しています。ですが…今のところ実のある情報はないようです」
 私はちらと腕時計を見る…午前11時半。聞き込みが成果を上げるにはもう少し時間がかかるだろう。警部はまた黙って似顔絵を見つめたが、特に何も言わずそれを返す。
「あ、それはコピーですからどうぞお持ちください」
 そう言われ警部は「どうも」と紙をこちらに差し出す。私は受け取ると折りたたんでコートのポケットにしまった。
「ところで有島さん、志賀さんはもうお帰りですか?」
「いえ、まだ待機してもらってます。警部さんがお話されるかもしれないと、そちらの女刑事さんから連絡を頂いておりましたので」
 警部は微笑むとまたそこで「さっすがムーン、お見事」と言った。

 警部と私は有島の案内で志賀が待機している部屋に通される。四角い机だけが置かれた小さな取調室に彼はいて、ぼんやりと虚空を見つめていた。警部が「お疲れのところすいません。警視庁のカイカンです」と挨拶し彼の対面に腰を下ろす。私は現場でも少し会っていたので会釈だけで警部の隣に座った。
「いやあ驚かれたでしょう」
 そう明るい声で始める警部。志賀は相手の風貌にいささか驚いたようではあったが、「そりゃあもう」と優しい調子で会話に応じてくれた。
「朝の散歩はもう10年くらい日課にしてるんですけど、こんなのは初めてですよ。まさかしゃれこうべが埋まってるなんてねえ。あの腰を抜かしてた男は見つかりましたかね?」
 警部は「残念ながらまだです」と答える。続いて似顔絵にあった顎の傷についても確認されたが、志賀はあれは古傷に間違いないと答えた。さらに警部は身体の他の部分にも傷はなかったかと尋ねるが、男は長袖・長ズボンだったのでわからないとのことだった。
 そこで少し沈黙が生まれたので私は「男性はどんな様子でしたか?」と問う。
「そうですねえ、散歩道をいつものように歩いてたら桜の木の方から『うわあ』って聞えたんです。それで行ってみるとその人が腰を抜かしてて、何を訊いても返事が言葉になってなくて。驚愕っていうんですかね、全身をプルプル震わせて本当に顔が真っ青でしたよ」
「その人に見覚えは?」
 と、警部。老人は首を振る。
「私は公園の近くで駄菓子と文房具の店をやってるんですけどね、あんな人は見かけたことないです。おそらく町内の人ではないでしょう」
「そうですか。それにしても新宿で駄菓子屋さんとは乙ですね。いやあ私も小学生の頃からこいつが好物でして」
 そう言って警部はポケットからおしゃぶり昆布を出す。志賀は目を丸くした後とても嬉しそうに口元を綻ばせた。
「そうそう、子供は何故か好きなんですよね、スルメとかサラミとか」
「五円のチョコとかもありましたよね。あと三つのうち一つだけ激辛が入ってるガムとか」
 しばし昭和世代の駄菓子トークが展開される。まあこうやって会話を楽しいものにして聴取するのも警部のテクニックなわけだが。明るく話しながらも相手をちゃんと吟味しているはずだ。
 そう、警部だって当然考えている…全てが志賀の狂言であるという可能性を。姿を消した花咲かおじさんなんて本当は存在しないという可能性を。
 警部は駄菓子トークの楽しい雰囲気を残しつつ、徐々に話題を転換して老人の毎朝の習慣について確認していく。
「だいたい朝6時には起きて7時までのニュースを見るんですよ。そして散歩に出るんです」
「ニュースですか。朝のニュースは情報がまとまっていてよいですよね。何か気になるニュースはありましたか?」
「そうですねえ…」
 志賀もおそらくは世間話のつもりでそれに答えていく。まさか自分がアリバイを確認されているとは夢にも思っていないだろう。
 その後またどの女子アナウンサーが好きかという話題で二人は盛り上がる。これも自分が疑われていると知って志賀が傷ついてしまうのを防ぐための警部の配慮…だと信じたい。そうですよね、警部?
「そうそう志賀さん、夜のニュースに出てるあの方も素敵ですよね。ええと確か名前は…」
 こらこらオッサン、もう女子アナトークはええっちゅうに。

 正午を過ぎ、結局話題が事件から脱線したまま警部は聴取を終了に導いた。「どうもありがとうございました」と席を立つので私もそれに合わせる。一礼して部屋を出ていく警部。
 本当にこれで終わっちゃうのかな、と思ったら警部はピタリと立ち止まる。そして室内に振り返り「志賀さん、最後にもう一つだけ教えてください」と告げた。来た来た、ここで重要な質問がバシッと出るに違いない。
 警部は数秒を待ってから、取調室に響く低い声で言った。
「この辺りでランチがおいしいお店はありますか?」
 …はい?

 捜査本部での簡単な打ち合わせを終え、警部と私は南新宿署を出る。そして警部が激辛カレー好きと聞いて志賀老人が教えてくれた『キーヤンカレー』という店で私たちは遅めの昼食にありついた。もっとも私は激辛なんて興味はないので甘口を注文したが。現在午後1時半、店内は客もおおよそはけており、小声でなら事件の話をすることもできた。
「いい雰囲気の店だね。作りはログハウス調なのに装飾はハワイアンなのがなんだかマッチしてて」
 あなたの格好は明らかにミスマッチだと思うが。
「それより警部、先ほどの聴取はいかがでしたか?志賀さんの証言の信憑性を確かめていらっしゃったんですよね?」
 警部は「まあね」と水を飲む。
「君はどう思った?」
「ニュースの内容をちゃんと話していたので、彼が散歩に出たのは7時過ぎで間違いないでしょう。通報があったのが7時17分ですから時間経過も矛盾しません。彼の話は事実だと私は判断しました」
「そうだね。そんな短い時間であんな大きな穴を掘るなんてお年寄りには無理だ。似顔絵にしても、もし嘘八百だとしたら顎の古傷なんて妙なアレンジは必要ない」
 私も頷く。
「となるとムーン、やはり現場から消えた花咲かおじさんを追うのが先決だね。あのシャベルはどこから持ってきたのかな?」
 スコップなのに…まあそれは言うまい。
「近くの工事現場から無断で拝借された物のようです」
「ナルホド。それで指紋は出た?」
 私は先ほど鑑識から届いた情報を伝える。持ち手の部分から指紋は検出されたが、本庁のデータベースと照合しても該当者はいなかった。
「過去の犯歴はなし、か」
「ええ。しかしそうなると困りましたね。似顔絵を使っての聞き込みにも引っ掛からないとなれば、やはり近隣住民ではないのかもしれません。あくまで第一発見者ですから、全国に指名手配というわけにもいきませんし…」
「ねえムーン、花咲かおじさんがたまたま遺体を発見したと仮定してさ、朝っぱらから公園の地面を掘る理由は何だろう?」
 そう、結局そこに立ち戻る。それがさっぱりわからないのだ。もしかしたらという可能性さえ浮かばない。
 私が返答に窮しているのを見て警部は言葉を続けた。
「穴を掘るということは、何かを掘り出すためか埋めるためだと考えられる。埋めるとすれば何かな?生ゴミ、宝箱、あるいは脱税とか盗んだとかのよからぬお金…」
「動物の死骸、というのもあるかもしれませんね。子供の頃に飼っていた金魚が死んだ時に公園に埋めに行った記憶があります」
「そうだね。しかし実はいずれの可能性もないんだよ。何故だかわかるかい?」
「現場には埋めるための物が何もなかったからですね」
 警部は「そのとおり」とまた水を飲む。
「あれだけ深く大きな穴だから、何かを埋めるとしたらそれなりに大きな物のはずだ。そんな物が現場にあれば志賀さんが見過ごすはずはない」
「そうですね。私が現場で志賀さんに話を聞いた時も、消えた男性のそばに落ちていたのはスコップだけだったとおしゃっていました」
「スコップじゃなくてシャベルだよ、ムーン」
「あ、つい…すいません。でも志賀さんもスコップとおっしゃってましたが」
「そうなの?う〜ん…」
 警部が腑に落ちない様子で首をひねる。だから本題はそこじゃないってば。私は強引に話を戻した。
「現場には埋めるための物は何もありませんでした。それにそもそもたくさんの人が出入りする公園にやましい物を埋めるとは考えられませんよね」
「…そういうことになるね」
 警部の思考もスコップから離れる。
「つまり彼は埋めるためではなく何かを掘り出すために穴を掘ったことになる。腰を抜かしていたわけだからもちろん遺体が埋まっているとは知らずに、別の何かを掘っていたんだ。
 …ではムーン、大の大人が一体何を掘っていたんだろう?」
 公園に埋まっている物…想像できない。それこそ大判小判の詰まった宝箱くらいしか思いつかない。
「彼の正体はトレジャーハンターで本当に宝を発掘していたのか、それとも考古学者で歴史的な遺物を探していたのか。う〜ん、新宿の公園からそんな物が出るとは思えないなあ」
 候補を挙げては自分で打ち消す警部。私も「まさか落とし穴ですかね」と言ってみたがもちろんすぐに自分で却下した。
 その後も二人でいくつかの説を唱えてみたが、いずれも無理のある話ばかりだった。
「わからない、わからないぞ」
 そう言ってまた警部が水を飲んだところで、バンダナを巻いた店員が「はいお待ち」と二人文のカレーを運んできた。

 事件の方は五里霧中で悩ましいが、カレーはそのストレスを忘れさせてくれるほどおいしかった。警部もご満悦なようで、激辛に苦悶しながらも幸せそうな笑みを浮かべている。
「いいかいムーン?激辛カレーってのは辛いだけじゃダメなんだよ。辛さも含めておいしくないとね。その意味でもキーヤンカレーは大当たりだ。志賀さんに感謝しないと」
 食べながら「そうですね」と合わせる。日頃あまり食に対して執着のない私でも確かにこれはおいしいと思った。まあカロリーもすごそうだけど。

 堪能して完食すると、皿が下げられ食後のコーヒーが運ばれてくる。警部は「激辛の後には微糖のコーヒーが合うんだよね、わかってるなあ」とさらに上機嫌。
「それで警部、これからどうしますか?」
 私もカップを口に運んでから言った。
「そうだなあ、とりあえず警視庁に戻ろうか。遺体の身元が判明するにも、聞き込みの情報が集まるにも、もう少し時間がかかるだろうからね。あ、そうそう、君は念のため戻ったら交通課に行って」
「え、どうしてですか?」
 交通課、と聞いて私の心は少し波立つ。
「消えた男性の顎の古傷、もしかしたら交通事故によるものかもしれないからさ。だとしたら交通課のデータを調べれば該当者がいるかもしれない」
「しかし警部、顎を怪我する原因なんて他にも色々ありますよ。それに交通事故の件数だってとても多いですし」
「だから念のためって言ってるでしょ。仕方ないじゃないか、普通の自己とか怪我のデータは警視庁にはないんだから。さっきの似顔絵を交通課に見せてさ、万が一知ってる人がいたらもうけもんじゃない」
「ですが…」
 どうしても歯切れが悪い返事になってしまう。
「それとも何か交通課に行きたくない理由でもあるのかい?」
 見透かすように目を細める警部。「特にそういうわけでは…」と返したがきっと内心の動揺は伝わってしまっただろう。この人はそれを感じ取る名人なのだから。
 訪れる沈黙。私はひとまずコーヒーを飲む。
 嫌だとか言っていられないのはわかっている。これは仕事だ。少しでも可能性があることなら調べなくてはいけない。カップを置いて「わかりました」と言おうとした瞬間…。
 リンリンリン…。
 店の電話が鳴った。これもレイアウトの一環なのか昔懐かしい黒電話だ。先ほどのバンダナの店員がカウンターでそれに出る。
「はいキーヤンカレーです。あ、ディナーのご予約ですか?ありがとうございます。お客様は初めてでいらっしゃいますか?」
 店員は快活に話しながらメモを取っている。そしてどうやら電話の相手は店の場所を尋ねたらしい。
「そうですね、すずらん医大病院はわかりますか?でしたらそこから五本桜小学校…じゃなくて五本桜公園の方に向かってください。そこから…」
 公園だけじゃなく五本桜小学校というのもあるのか。敷地に桜が五本あるから五本桜公園かと思ったけど、もしかしたらこの辺りの地名なのだろうか。
 そんな素朴な疑問にしばし心を傾ける。警部も黙ってカップを口に運んでいた。窓の外には新宿の高層ビルに阻まれながらも春の晴天が覗いている。
 そういえば…あの日の空もこんな水色だったっけ。

■第一章② 〜?〜

 部屋に帰り着いた俺は玄関に腰を下ろした。呼吸が荒い。心臓も激しく脈打っている。誰かの記憶に残るのを恐れて電車もバスも使わずに徒歩で戻ったが、さすがにこの距離は疲れる。できるだけ冷静に歩いたつもりでもかなりの早足になっていたのだろう。額からはおびただしい汗が流れ落ちてくる。下顎の古傷もまるでそこに脈があるかのように疼いている。
 まさか、まさかあんなものが埋まっているなんて…。あの白骨…あの服装…間違いない、あれは、あれはあいつだ。
 なんてことだ。俺はとんでもないことを…。
 両手が震え始める。そしてあの場にシャベルを残してきてしまったことにようやく気が付いた。部屋の時計を見る…午後2時。もう公園は騒ぎになっているだろう。取りに戻ることはできない。
 落ち着け、とにかく落ち着かなければ。今何をすべきかを考えるんだ。
 まずは会社に無断欠勤したことを謝って、ええとそれから…。

■第二章① 〜ムーン〜

 午後3時、警視庁に戻った私は警部と別れて交通課を訪ねた。パトカー警邏で外勤の多い部署だ、その部屋には数名の制服警官だけがデスクワークをしていた。「失礼します」と入った私に一人の婦人警官が気付く。長身にポニーテールの黒髪。
 …彼女だ。思わず膝が震えた。
 他の者が動かなかったので彼女が席を立ってこちらに来る。それが嫌々であるのはその表情から痛いほど伝わってきた。
「何かご用ですか?」
「あの、すいません。私は捜査一課の…」
 思わずどもってしまう。彼女…氏家美佳子巡査はイライラした様子で「それはわかってます。ご用件を」とせっついた。
「はい、すいません。今私のミットが捜査担当している事件なんですけど、情報提供をお願いしたくて」
 私は言葉に詰まりながらも事情を説明する。まともに彼女の目が見れない。無言の圧力がさらに私の焦りをあおった。
「そ、それでこの男性に心当たりがないかと思いまして」
 例の似顔絵の紙を手渡す。それを一瞥して彼女が言う。
「都内で年間にどれだけの交通事故件数があるか知ってます?」
「あ、ええ…」
「その中から顎の傷だけで個人を特定できると?」
「ええと…」
「そもそも交通事故による傷かどうかもわからないんですよね?」
 …空気が刺さるように痛い。気まず過ぎておいしかったカレーも吐いてしまいそうだ。
「これは…カイカン警部からのご指示ですか?」
「あ、はい。でも難しいようでしたら…」
 そう言って紙を取り返そうとした私の手を避けて彼女は小さく溜め息を吐く。そしてそれを折りたたむと機械的な口調で言った。
「わかりました。一応上司に伝えておきます。お返事はいつになるかわかりませんが、もし情報がありましたらこちらからご連絡します」
「よろしくお願いし…」
 言葉を最後まで聞かず彼女は踵を返しデスクに戻っていく。私は黙って頭を下げると交通課を出た。そして重たい足取りで廊下を歩く。
 …苦しい。仕方ないこととはいえこんなに苦しいなんて。心のどこかにあった期待は完全に打ち砕かれた。この10年でこんなにも溝は深まってしまった。
 彼女が私を見る目…あれは嫌悪と軽蔑だ。彼女にとってもう私はそういう存在でしかないのだ。

 いつもの部屋に戻るとそこに警部はいなかった。代わりにいたのはビンさん…このミットの長にして警部と私の上司。階級は警視だがそう呼ばれるのはあまり好きではないらしく、私も警部に倣ってビンさんと呼ばせてもらっている。もちろんビンというのも本名ではない。
 ビンさんは普段ミットに捜査の割り当てが来ても陣頭指揮はほとんど警部に任せていて事件を担当することはない。私たちが提出した報告書のチェックや庁内で行なわれる会議に出席するのが主な業務だ。もちろん他にも私が知らない仕事があるのかもしれないが…普段この部屋にいることも少なく、そんな時は未解決事件の関係者を当たったり過去の証拠品を確認したりしているらしい。
「ムーン、お帰り」
 そう言ってビンさんは微笑む。小柄な体型に少し白髪の混じった頭、そして穏かな表情…街でこの人を見かけても警察官だと予想する人はまずいないだろう。
 お疲れ様です、と返して私は自分の席に座る。八畳ほどの室内に向かい合わせに置かれた四つのデスク。壁際には本棚とソファとホワイトボードが所狭しとひしめき合う私たちの部屋。このミットには三人しかいないのでデスクは一つ空席だが、そこも捜査ファイルが積み上げられすっかり物置状態。
「警部はまだ戻っておられないんですね」
「カイカンならさっき一度戻って、調べ物をするとかで図書室へ行ったよ。今朝の事件のことも少し聞いたけど、身元不明の白骨遺体だってね」
「はい。まだわからないことだらけです」
 私がそう答えるとビンさんはそれ以上事件の話はしなかった。数分の沈黙の後で優しく口が開かれる。
「それにしても君がここに配属されてもうじき二年か。どうだい?カイカンの下に着くのは大変だろ?…変人だからなあ」
 それを許容しているあなたもかなりのものだと思うが。
「いえ、とても勉強になっております。私では思いつかなかった発想や着眼点にいつも驚かされます」
「そうかい、それならいいけど。なんか落ち込んでるように感じたからもう限界なのかなと思って」
「あ、すいません、それはちょっと別の件で」
 やっぱりこの人も人を見る目は長けている。でもいかんいかん、心の中を簡単に見透かされるようではまだまだ一人前とはいえない。気をつけなければ。

 その後部屋に戻ってきた警部と私は同じ症状に襲われた。それは眠気…おそらくカレーによる満腹感からくるものだろうが、睡眠薬でも入っているのかと思うくらいそれは強烈だった。
 午後5時、二人して欠伸を噛み殺し目をしょぼつかせているのを見て「ハハハ、春眠暁を覚えずか」とビンさんは笑いながら退勤していった。警部も「ムーンも眠かったら寝ていいよ。今夜は遅くなるだろうから今のうちにさ」と勧めてくれたが、さすがに新人が職場でグースカ寝るわけにもいかない。
「私は大丈夫です。警部こそ遠慮せずどうぞ。何か情報が届いたら起こしますので」
「そうかい?じゃあお言葉に甘えて…」
 そう言うと警部は壁際のソファに横になり、ハットを目元まで下ろした。しばらくするとスウスウ寝息が聞こえ始める。
 私は窓の外を見た。日は翳り始め、東京は夜に向かっている。

***

「どうしてそんな余計なことするの?あたしを馬鹿にしてるの?それとも哀れだとでも思った?」
 少女がその目に激しい憎しみを浮かべて私を責めている。
「そりゃあんたはいいわよね。あたしの気持ちなんかわかるわけないよね。今までも我慢してたけどやっぱりあたしも無理。あんたとなんかつき合えない。あんたは…最低よ!」
 薄暗い空間に怒りの声が響く。最後にもう一度私を睨むと、少女は走り去っていった。

***

 …ゴンゴン。
 激しいノックの音で私は目を醒ました。どうやらデスクにもたれたまま眠りに落ちていたようだ。また何か夢を見ていたような気がする。
 顔を上げると氏家巡査がドア口に立って厳しい視線を向けていた。その瞳が私の中で誰かと重なる。
「あ、すいません」
 慌てて席を立ちそちらに向かう。彼女は冷たく「お休みのところごめんなさいね」と言って一つの封筒を差し出した。
「ご依頼の情報です。最初に申し上げますと、交通事故で顎に怪我をした人間はあまりに数が多くて全部は調べきれませんでした」
「それはどうも…」
「ですから一応この20年の間に23区内で事故に遭った被害者、その中で現在40歳前後の男性だけをリストアップしてあります。それでも200人以上ですけどね。
 あと頂いた似顔絵ですが、交通課の職員で見覚えのある者はいませんでした。それも一緒に封筒に入ってますので」
「お忙しい中色々ありが…」
 彼女はまた最後まで聞かず「それでは」と踵を返す。
 …苦しい。でもこれはもうどうしようもない。
 廊下の足音が遠ざかったのを確認して私は封筒から書類を取り出す。そこには交通事故で顎を負傷した男性の名前・住所・生年月日と事故の状況が表で見やすくまとめられていた。
 憎まれ口を叩きながらも頼んだ以上のことをしっかりやってくれる…変わってないな、美佳子は。クラスの仕事とかたくさん手伝ってもらったよね。
 あの優しかった美佳子にあんな冷たい瞳をさせている…その元凶は間違いなく私なのだという事実が胸を絞めつける。

「何か…情報かい?」
 しばし呆然としていた私に低い声がかけられた。振り返るとソファの警部が身を起こしている。
「警部、お目覚めだったんですか?」
「たった今ね。それよりその書類、情報が届いたのかい?おやもう夜の8時じゃないか」
 立ち上がって伸びをする警部。私は笑顔を作り「ええ、交通課に依頼していた物です」とそれを手渡した。
「依頼したこっちが眠りこけてたので悪いことしましたね、ハハハ」
 明るくそう言ったが、警部はそれには答えず黙って書類に目を通していた。

 一覧表にあった名前は231人。綺麗にまとまっていたがもちろん顔写真があるわけではないのでこの中に花咲かおじさんがいるのかどうかはこれだけではわからない。一人ずつ訪ねて回るとすればかなり骨が折れる作業となる。さすがの警部もどうしたものか考えあぐねているようだった。

 午後9時、続いて鑑識課からの情報が届く。あの白骨遺体に関するものだ。私は警部と一緒にそれを整理していく。
「まず遺体の身元についてですね」
 鑑識が財布の中の保険証を見事に復元してくれたおかげでそこにあった情報を読み取ることができた。名前は大宮光路(おおみや・こうじ)という男性。しかし奇妙なことに、警視庁のデータベースに照合しても特に失踪届けや捜索願いは出されていなかった。それを知って警部が言う。
「白骨になるまで埋められていたってことはかなりの年数大宮産は姿を消していたことになる。それなのにどうして誰も捜さなかったのか…不思議だね」
「ええ。司法解剖の結果も読み上げてよろしいですか?」
「どうぞ」
「まず死因ですが、衣類に刃物で刺されたような跡はなく、遺体からは毒物の反応も出ず。そして頭蓋骨の後頭部には細く硬い者で殴られたらしき骨折があり、これが致命傷として考えられるそうです」
 警部が「後頭部殴打による脳挫傷…」と呟く。私も頷いて続けた。
「もちろん遺体があの状態ですから断定はできないそうです。殴られたのではなく何かを投げつけられた、あるいは転倒や転落でぶつけた可能性もあります。凶器についても骨折線からだけでは断定できないと書いてあります」
「う〜ん…死亡時期は?」
 警部がそう言って右手の人差し指を立てる。
「はい。解剖によれば、亡くなって20年近く経過していると」
「20年…そいつはすごい。確かに一昔前のファッションだったからね。携帯電話を持っていなくても無理ないか」
 警部のファッションはきっと20年前でも不可解だろうな…と密かに思いながら私は先を続ける。
「あと鑑識の報告では保険証の記載や財布の中の硬貨の年代から、少なくとも18年前までは生きていただろうとのことです。保険証では22歳となっています」
「18年前に22歳ってことは、生きていれば現在40歳。とすると…」
 人差し指に長い前髪をクルクル巻き付ける警部。考え事をする時の癖だ。
「40歳ってことは、大宮さんと花咲かおじさんは同世代。これは偶然か…それとも…」
「警部は二人が知り合いである可能性を考えておられるのですか?しかし花咲かおじさんは遺体を発見して驚いていたわけですから、彼が大宮さんの死に関わっている可能性は低いかと」
「確かにそのとおりだね」
 警部は指を動かすのを止め、もう一度交通課がくれた一覧表と解剖報告書を読み返した。
 私も考える。花咲かおじさんの正体は依然として不明だがひとまず遺体の身元はわかった。大宮光路…彼がどうして22歳の若さで死亡し公園の土の中に埋められたのかはわからないが、これで捜査は一歩前進だ。そういえば…。
 やがて読み終えた書類をデスクに置いた警部に、私は思い出したことを尋ねてみる。
「あの警部、ビンさんから聞いたのですが図書室で調べ物をされたんですよね?何か事件についてのことですか?」
「まあね。百科事典で調べてみたんだ…シャベルとスコップの違いを。改めて考えると自分でも明確な違いが説明できなかったから」
 え、調べ物ってそれ?完全な肩透かしであったが変人上司は嬉しそうに解説を始めてしまう。
「JIS規格では上部が平らで足をかけられるのがシャベル、上部が丸くて足をかけられないのがスコップだってさ。つまり大きさの違いというより形状の違いみたいだ。つまり今回現場に落ちていたのはやっぱりシャベルなんだよ」
「そうですか」
「ただね、先が尖っているか平らかで区別している場合もあったり、シャベルとスコップという言葉はJIS規格される前からあったみたいだから…結局よくわからないんだ」
 …もはやどっちでもいい、というかどうでもいい。うんざりしているのが顔に出そうになったところで私の携帯電話が鳴った。警部も話すのをやめる。
「南新宿署の有島さんからです、ちょっと失礼します」

 有島から伝えられたのは花咲かおじさんに関する目撃情報だった。未だ身元は不明だが、現場近所の住民の何人かが昨日日中にも公園で彼の姿を目撃していたというのだ。
「昨日…ってことは日曜日か。じゃあ彼はかなり前からあの公園にいたってこと?」
「はい。目撃者の話では、ベンチに座っていたり、水飲み場にいたり、散歩道を歩いていたりと公園内を色々動いていたようです」
「う〜ん、彼は一体何をしていたんだろう。まるで時間を潰していたみたいな…」
 警部が再び人差し指を立てる。私も公園内をうろつく中年男の姿を想像した。
「もしかしたら…誰かと待ち合わせしていたのではないでしょうか?相手がなかなか現れず、それで時間を潰していたとか」
「そうかもしれない。でも、日中公園で誰かを待っていた男がどうして翌朝には桜の木の根元を掘ってるんだ?…ストーリーが見えてこないよ。彼は公園で誰かと言葉を交わしたりしなかったのかな?」
「それが一人だけ声をかけられたという人がいたそうです。買い物帰りに公園を通過していた主婦なんですけど、彼から『この辺りでシャベルを売ってる店を知りませんか』と」
「ナルホド。つまり昨日の時点で穴を掘る予定はあったってことか」
「そうですね。主婦は『土いじりで使うような物ならスーパーの園芸ショップにありますよ』と答えたんですが、すると彼は『スコップじゃなくてシャベルが欲しいんです』と言ったそうです」
「フフフ、花咲かおじさんと主婦ではシャベルとスコップがあべこべだったみたいだね。まるで私と君みたいだ。こりゃあいよいよどっちが正しいかわからないぞ。それとも私と花咲かおじさんには何か繋がりがあるのかな」
 どっちも変人ってことでしょう、と言いたいのを我慢して私は続ける。
「その主婦以外に彼と言葉を交わした人は見つかっていません。結局近所の工事現場からシャベルは拝借したわけですから、遠くに買いに行ったりもしなかったのでしょう。
 …以上が有島さんからの情報です」
「了解。つまり花咲かおじさんは昨日の日中から公園にいた、そしてその時点で穴を掘ろうとしていた、さらに近所の店について尋ねていたことから近隣住民ではないってことがわかったね。まあ彼の行動の理由は全く謎のままだけど。う〜ん…」
 警部はまた唸りながら前髪を人差し指に巻き付け始めたが、突然立ち上がって伸びをした。
「これ以上はわからないね、今の時点では。明日の動きを決めて今日はお開きにしよう」
 私も腰を上げてメモの準備をする。
「まず大宮さんが一体いつまで生きていたのかを正確に割り出す必要がある。君は明日朝一番で区役所に行ってその辺りを確認してきて。大宮さんの学校とか会社とか家族とか…できるだけ詳しく」
 わかりました、と私はそれを手帳に書く。
「あと、遺体が本当に大宮さんかどうかも確認しなくちゃね。可能性は低いけど、大宮さんの保険証を所持していた別の誰かってことも考えられるから」
「そうですね。しかしどうやって確認しましょうか」
「白骨で照合できるものといったらもう歯型しかない。少なくとも18年前まで生きていたのならその頃に歯医者にかかってるかもしれない」
「わかりました、大宮さんが通った歯科医院がなかったかも調べてみます」
 そう答えると警部は「よろしく」と言った。
「警部は明日どうされるんですか?」
「電車とかバス、あとタクシー会社でも当たってみるかな。花咲かおじさんが近隣住民じゃないとしたら、それらを使って公園まで行った可能性がある。だとしたら誰か憶えているかもしれない」
 もちろん徒歩だったりマイカーやバイクなどを利用した場合もあるのでけして公算の高い話ではない。しかし今はそういう小さな可能性を当たっていくしかないのだ。
「タクシー会社を当たるなら、交通課に協力を願いますか?」
「いや、自分でやるよ。頼り過ぎはよくないし」
 警部はそう言いながらドアに向かって歩き出す。
「それに、あまり君に辛い思いをさせるのもなんだしね」
 一瞬心臓が止まる。もしかして…気付いてる?
 私の困惑などお構いなしに警部は「お疲れ様」と部屋を出ていった。

■第二章② 〜?〜

 ダメだ…とても眠れそうにない。俺はまた布団から出て水道で水を飲む。
 夕方のニュースでは「桜の木の下から本当に死体が」というセンセーショナルな見出しが報じられていた。公園前からの中継では「掘り出したのは現場から姿を消した謎の男性」と女性レポーターが雰囲気たっぷりに語り、スタジオでは不愉快なBGMの中、「一体彼は何者か」「白骨の身元は誰か」とゲストが無知で無責任な憶測を並べていた。正直見るに耐えなかったが、確認しないわけにもいかない。そのまま夜のニュースまでチェックしたが、それ以上捜査の進展はないようだった。

 果たして警察は俺を訪ねてくるだろうか?
 寝付けないとわかっていながらまた横になって考える。
 土で汚れた服は処分した。会社には無断欠勤の理由を腹痛で寝込んでいたと説明した。万が一警察が来てもしらばっくれることはできる。それにいくら警察だってあいつに…大宮に何が起こったのかを正確に知ることは不可能だ。俺自身今日の朝まで何もわかっていなかったのだから。

 大宮…お前はずっと土の中で眠っていたんだな。誰にも気付かれずに、何年も何年も…。
 瞳を閉じる。
 今夜はせめて三人で過ごしたあの頃を思い出してみよう。今まで一度も夢に見ることもできなかったあの頃を。

TO BE CONTINUED.

(文:福場将太)

前のコラム | 一覧に戻る | 次のコラム