コラム

コラム2016年11月「秋の夜長に心の名作⑰ きらきらひかる」

 先月、大阪府が監察医制度を廃止の方向で検討するとの報道がありました。遺体を懸案・解剖し死因を究明する監察医、その根底にあるのは法医学です。数多くある医学の専門分野の中でも、法医学は精神医学と並んでよく特殊だと言われます。
 学生時代の講義と実習くらいしか経験のない僕ですが、今回は監察医たちの姿を描いたドラマ『きらきらひかる』をご紹介します。

■ストーリー
 医学部卒業後の進路に迷っていた天野ひかる。彼女は卒業パーティで起こった爆発事故の際に現場に現れた監察医・杉裕里子の姿を見て大きな衝撃を受ける。背中を叩かれたように監察医務院に就職した彼女は、そこで先輩監察医や刑事たちと出会い、そして憧れの杉とも再会する。
 かくして新人監察医となった天野ひかるは仲間たちと共に死者の死因究明に当たりながら、いくつもの輝くような真実を目にしていくのだった。

■福場的解説
 原作漫画の天野ひかるは経験豊富な監察医として登場し自分の力で死者の真実を解明する。しかしドラマでの彼女はまだ新米、仲間たちに教えられ助けられながら成長していくことになる。よって本作の中心となるのは主人公の彼女だけではない。先輩監察医の黒川栄子、刑事の月山紀子、ひかるが尊敬し目標とする杉裕里子を合わせた四人の女性が物語を紡いでいく。彼女たちは誰もが美しく、可愛らしく、そしてかっこいい。四人四様の輝きを放っていて、誰が一番かと問われても順番がつけられないほど本当に全員が魅力的なのだ。
 そしてこのドラマはただの法医学サスペンスにとどまらず、未だに僕の心を離してやまないいくつもの要素を含んでいる。一つずつ取り上げてみよう。

●『真実』に対する信念
 僕にとってこのドラマの最大の関心事はこのテーマ。彼女たち四人は共に死者の真実を究明しながらも、全員が真実に対して異なった信念を持っている。これを象徴しているのが第1話でのこんなシーン。
 いつものレストランでともにテーブルを囲みながら、ひかるが一つの質問を投げかける…「森の奥でとても大きな木が倒れました。誰も見ていないし誰も傷つけてはいない。さあどうしますか?」。これに対する四人の回答がそれぞれの信念を見事に表していて興味深い。

 「本当に倒れたのか見に行く」と答えたのは杉。妹の死の真相を調べるため外科から法医学に移ってきた彼女は、真実を知るということに人並み外れた欲求を持っている。彼女にとって知ること自体が目的であり、その情熱は損得勘定や仕事さえ逸脱する。たとえそれがどんな真実であったとしても、真実は知るべきだと彼女はいつも言う。
 そして特徴的なのはそれだけの情熱を持ちながら彼女は常に冷静沈着だということ。杉が真実を認定する根拠は必ず科学的でなくてはならない。先入観や希望的観測など一切を排除し、あくまで遺体に現れた所見のみから判断する。もちろんそれだけでは自殺か事故死かわからない事例もある。それでも彼女は死者に借金があったとか、遺族が何を望んでいるかなどの情報は判断には取り入れない。つまり彼女にとっての真実は憶測や解釈を含まない『科学的事実』でなければならないのである。

 「どんな木が倒れたのか見に行く」と答えたひかるは人間の内面に対する思い入れが並はずれている。そのため死者や遺族への感情移入が強く、誰かの救いになるような真実を求めようとする。「人を助けようとして川に入ったのではないか」「恋人を裏切ったわけではなく彼は悪人に殺されたのではないか」など。その情熱が実を結ぶこともあるが、逆に大きな判断ミスを犯すこともある。
 真実を追いかけ続ける情熱の強さは杉と共通しているが、思い入れの有無において二人は対立する。杉はひかるにその点を何度も指導した。「死者が助けようとしたなんて簡単に言わないで。それはあなたの希望であって、助けようと舌かどうかなんて本人に歯科わからない」と。ひかるはその度に反省しながらも、やはり死者や遺族への思い入れを捨てられないのである。

 続いて「松茸が生えてたら取りに行く」と答えたのは黒川。一見ただの冗談にも聞こえるが実はこの言葉にも彼女の信念が表れている。彼女は利益がある真実でなければ無理に解き明かすべきではない、何でも知りたい知りたいと追いかけるべきではないと考えている。そしてその力加減を決める枠組みが『仕事』なのだ。
 仕事以外で過去の事件を解明しトラブルになった上司に彼女は言う、「真実は一つしかないなんて突き進むからこんなことになるのよ。私なら仕事以外の鑑定なんてやらない。やったとしても人の生活を混乱させるような結果なんて言わない。それが私の真実。真実はたくさんあるの」と。いつもプライベートを確保し明るく笑っている彼女が作中で唯一真剣に本心を語った瞬間だった。彼女にとっては時として真実を謎のままにすることも信念なのである。

 月山は「ウサギが被害届を出したら見に行く」と答えた。刑事である彼女は被害者のため弱者のため、そして犯罪者を逮捕するために真実を追う。メインキャラクターの中で唯一医者ではない彼女は死者に対する尊厳を踏みにじっても事件解決のために奔走する。
 人の内面を重視するという点ではひかると共通しているが、ひかるが相手を信じようとするのに対し月山は徹底的に人を疑う。仕事においては冷血にも思える彼女だが、恋愛や友情に対しては不器用なほど誠実なのがまた興味深い。月山にとっては自分の中にある正義こそが信念なのである。

 このように四人の真実に対する信念は様々だ。そしてそれらはいずれも一長一短に描かれている。どれが最も優れているということはなく、事例によってひかるの方法が真実を掴むこともあれば真実を遠ざけることもある。科学的根拠だけでは救われない心がある。仕事をはみ出してこそ救える命もあるし、警察だからこそ解決できる事例もある。
 本作では明確な正解は示されていない。だからこそ、様々な信念を持つ者がお互いを尊重したりぶつかったりしながら一つずつ答えを出していくことの大切さを教えてくれるのだ。
 いくつもの事例を通してひかるは少しずつ杉の冷静さや監察医の立ち位置を学び、杉もまたひかるの死者に対する思い入れを受け入れるようになっていく。信念や価値観が違う人間と働くからこそ成長できる、これは僕たちの仕事でも同じことだろう。

●『真実』に対する敬意
 本作では『真実』というものがとても神聖で崇高な存在として描かれている。ひかるの上司であり監察医務院の部長である田所の言葉はとても印象的だ。「真実は必ずどこかにあるがたどり着けるとは限らない。たどり着けないと人はつい都合のよい真実お作ってしまう。監察医は絶対に真実を作っちゃいけない」と彼はひかるの着任した日に伝える。
 かつて田所の妻は謎の死を遂げており解剖したのも彼自身。しかし必死になって調べてもその真相は結局わからなかった。どんなに知りたくてもたどり着けない真実。それでも彼は都合のよい真実を作ってそれにすがろうとはけしてしないのである。
 死亡時刻のわずかなずれが死者の真実を大きく変える。監察医たちはそのわずかなずれを見極めるために気の遠くなるような検査や検証をくり返す。彼らが書く死亡診断書一枚はとても重たいのだ。

 ここが精神科医療との大きな違いだと思う。もちろん精神科も医学である以上科学的根拠に基づいて診断をしなくてはならない。しかし人の心なんてそもそも改名できるわけがない。白黒はっきりさせることはできず、真実は神のみぞ知るというのが精神科の大前提だ。何月何日に病気が発症したかを記入しなくてはならない書類もあるが、精神疾患では推測を含まずにそれを判断することは不可能である。
 診断名についても治療やレセプトを意識してカルテに記載しており、それが絶対的な真実かと問われるとそれほど崇高なものではない。もちろん虚偽の記載をしているわけではないが、解釈によっていくらでも真実は存在する。その意味では都合のよい真実を僕はいくつも作ってしまっていると言えるだろう。
 専門が違うから考え方や手法が違うのは当然なのだけれど、このドラマを見るたびに真実というものの大切さも忘れてはいけないなと感じる。精神科の曖昧さに甘えてはいけないなと思う。

●感謝されない医者
 学生の頃に内科・外科・産婦人科などを『メジャー系』、それ以外を『マイナー系』と呼んだりした。その意味では法医学はかなりマイナーである。そもそも人の命を救う、病気を治すという医療の本分から外れているのだ。本作でも監察医は人の命を助けられないことにひかるが悩むシーンがある。
 では監察医たちは何をやりがいに仕事をしているのか?確かに解明した真実が遺族を救うこともある。しかしその逆だってあるのだ。誰一人救わない真実だったとしてもそれを崇高なものと信じて解明する…生半可な覚悟でできることではない。また仮に解き明かした真実によって死者の名誉を守ってあげられたとしても、本人から感謝の言葉をもらうこともできないのだ。

 精神科医療も少しだけ似ている所がある。前述したように僕らの仕事は真実の解明が最優先事項ではない。じゃあ何が最優先かと言われると、やはりそれは患者の回復を促し尊厳を守ることだろう。そしてそれは必ずしも患者や家族から感謝されることとイコールとは限らない。患者や家族から不満や怒りを買ったとしても、それが回復や人権尊重に反することであれば僕たちは応じるわけにはいかない。医療費をもらっておいて時には相手に感謝されないことをする…ここに精神科医療のおこがましさがある。

 田所が言う、「観察医務院は人助けをするのが仕事ではない」「俺たちは生きている人の言い分を聞くために働いているんじゃない」と。では何のために?…と思わず尋ねたくなるが、本作の監察医たちは自分の仕事に誇りを持って働いている。
 人の命を助けるわけでもなく、解明した真実で人から感謝されるわけでもなく、死体の解剖という多くの人が敬遠する業務をこなしながら、それでも冗談を言い合ったりレストランで贅沢したりしながら働いているのだ。その姿は率直に言って素敵である。

 杉のセリフに「私、医者同士が先生って呼び合うのはムシズが走るの」というのがある。実際に本作では新人のひかるを除き、他の者はみんな年齢も性別も職種も関係なく苗字呼び捨てで名前を呼び合っている。それがとてもすがすがしい。現実では医者同士は同僚や後輩に対しても「○○先生」と言ったりするが、実は僕もそれが好きではない。
 本作で『呼び捨てし合う職場』が実現しているのは、もしかしたら彼らの『感謝されるために働いているのではない』という生き方による所もあるのではと感じたりする。

●愛の言葉
 本作では毎話様々なキャラクターが登場し生死の絡む人間模様が描かれる。その中で誰かが口にした何気ない一言が実は愛の言葉だったと判明する話がいくつもある。「好きだ」とか「愛してる」などではなく、日常の中の平凡な一言が時を超えて愛の言葉の意味を持つのだ。
 死因は科学的根拠で立証できても愛の証明はそうはいかない。それはもう憶測と解釈の世界…。専門用語が飛び交い毎回死という重たいテーマが扱われる本作において、少しだけブレンドされたこの『心理面の真実』はとても暖かさを感じさせてくれる。お涙頂戴のドラマならむしろこっちをメインにした方がよいのだろうけど、あくまで法医学で解明する真実の方をメインにしているのが『きらきらひかる』。だから主題かも甘いラブソングなどではなく強烈なあの曲なのかもしれない。

 このドラマを見るたびに、人間というのは日常会話の中で実は大切な気持ちのやりとりをしているんだなと感じさせられる。伝えたい気持ちを言い残して亡くなったように見えても、その人と交わした言葉を思い出せばちゃんとそこに気持ちを汲み取ることはできるんだなと。
 心の証明…曖昧で白黒はっきりつかないものだが、やっぱり探求するなら僕はこっちの方が好きみたいだ。

■好きなセリフ
ひかる「人の命を助けられない医者は役立たずなのかな」
杉「そういう意味で役に立ちたいわけ?治った患者に感謝されたいの?」
ひかる「そんなこと…」
 このやりとりの後の杉先生の言葉が大好きです。本作の登場人物たちの仕事をする姿がきらきら輝いて見えるのも、まさにこの信念によるものだと思います。必要とされたい欲求が強い僕にとっては目が覚めるセリフでした。

「ならいいじゃない、自分の懸けるものさえあれば」 杉裕里子

 そんなわけで今年も雪が降ってきたので名作紹介シリーズもおしまいです。残すところ来年の三回で終了。好きな作品はまだまだあってとても選びきれませんが、一年かけてじっくり考えたいと思います。
 風邪が流行ってきてますのでみなさんぜひ手洗い・うがいを忘れずに。

(文:福場将太)

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