コラム

コラム2012年11月『秋の夜長に心の名作(2) 走れメロス』

若い人たちの活字離れが激しいと言われます。確かに一昔前は電車の中や喫茶店で文庫本を読んでいる人たちをたくさん見かけましたが、今は携帯電話を触っていたりイヤホンで音楽を聴いている人がほとんどです。まあ私自身も学生時代にそんなに読書家だったわけではありませんが、通学中の車内や眠れない夜のおともはいつも文庫本でした。まあ私の場合はそのほとんどが推理小説だったわけですが、作品世界に引き込まれページをめくらずにはいられない・・・気がつけば徹夜になってしまったなんて経験がよくありました。いわゆる文学作品は数えるほどしか読んでいませんが、やはり十代の吸収力はすさまじくいまだに鮮明に憶えていたりします。もっともっと色々読んでおけばよかったと今でも思います。 というわけで今回はその中でも特に鮮明に憶えている太宰治の「走れメロス」をご紹介します。文学なんて敷居が高いなんて言わずに、この文字の芸術を存分に味わってみて下さい。特に少年少女諸君、インターネットの掲示板やメールの文章が日本語だと思ってたら大間違いですよ!

■ストーリー
人間を信じることが出来ず近しい人間さえ次々と処刑していく暴君ディオニス。妹の婚礼衣装を買いに町に来ていたメロスはそれを知り、怒りのままに城に乗り込むが捕らえられてしまう。処刑を言い渡されたメロスは、必ず戻ってくるから妹の結婚式を挙げるために3日間待ってくれと頼むが当然ディオニスは信じない。そこでメロスは親友セリヌンティウスが身代わりになることを提案。ディオニスはもし3日後の日没までに戻ってこなければ代わりにセリヌンティウスを処刑するという条件でメロスを解放する・・・しかもメロスにそっと「セリヌンティウスが死ねばお前は放免だ。だから少し遅れて戻ってこい」と耳打ちして。
かくしてメロスは必ず戻ると約束し妹のいる故郷の村へと走るのだった。

■福場的解説
学校の教科書で読んだのが私とこの作品の出会いでした。まず最初に驚いたのは、その文章の迫力とスピード感です。力強く簡潔な文章がズバズバと連続し、さっき読み始めたと思ったらもうメロスは走り出していました。改めて読み返すと、この作品には外見や風景の描写がほとんどありません。メロスやセリヌンティウスはどんな顔なのか、髪の毛は何色なのか、部屋の広さはどれくらいなのか、妹はどんな服を着ているのか・・・それらの視覚的情報は全て読者の想像力に委ねられています。しかし描写の少なさはけして説明不足ではなく、読んでいて情景が浮かばないシーンは1つもありません。そしてその文字数少ない簡潔な表現だけで、結婚式の宴の幸福さやボロボロになりながら走るメロスの姿、ラストシーンの民衆の歓声がとてもリアルに伝わってくるのです。そう、この作品の最大の魅力は短編文学であるということ。ですから、活字が苦手な人でもきっと一気に読み終えることが出来るでしょう。
そしてこの作品はぜひ十代のうちに読んでほしい。何故ならこれはまぎれもなく青春文学だと思うからです。文中にもあるようにメロスはあきれるくらい単純な男です。そもそも妹の結婚式を挙げなきゃいけないやつがどうして城に乗り込んでいくんだ、妹の立場はどうなるんだというツッコミが入るでしょう。勝手に親友を身代わりにするな、勝手に結婚式の日程を決めるなと思うでしょう。しかし全編通してメロスはいつもそうなのです。彼はこざかしい計算や駆け引きなど一切しない、ただ情熱のままに行動する男なのです。このメロスの不器用なまでのまっすぐさこそが、この作品に素晴らしい爽快感を与えているのです。現実的に考えればいくら改心したからといってあれだけ人を殺した王を民衆が許すわけがない・・・でも許してしまうのもこの作品が青春文学だからなのです。社会人になったらメロスのようにまっすぐ生きるのはとても難しいです。計算しなくちゃやってけない、でもそれはどこか馬鹿げてる。
十代の時にあったあのまっすぐな情熱、友を信じ敵を許せた青春、そんな爽やかな読後感をこの秋にぜひ味わってみて下さい。

■私への影響
大学時代、柔道部で路上を走っていたのはいつも夕暮れでした。足が遅い私は「何とか日没までには大学に帰り着かねば」と勝手にメロス気分を楽しんでいました。

■好きなシーン
妹の結婚式、その幸福に満ちた祝宴の席でメロスは妹夫婦に言葉をかけて退席する・・・城に戻って殺されるために。今回読み返した時、メインテーマである友情のシーンよりもメロスの妹への想いにホロリときました。

■好きなセリフ
「お前の兄は多分偉い男なのだから、お前もその誇りを持っていろ」メロス

(文章:福場将太 協力:瀬山夏彦)

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