コラム

コラム2013年09月『秋の夜長に心の名作(6) 天は赤い河のほとり』

 さてさてゲリラ豪雨に見舞われた蒸し暑い夏もようやく影をひそめ、北海道の短い秋がやってきました。今年もまた書いてみようかなってわけでこのシリーズ、あなたの秋の夜長のお供になれたら幸いです。それでは美唄メンタルクリニックの職員にも一台ブームを巻き起こした傑作漫画「天は赤い河のほとり」をご紹介します。

■ストーリー

 中学3年生の少女・鈴木夕梨は志望校にも合格、気になる男友達とも両想いになれてまさに人生順風満帆。そんなある日彼女はデート中に突然何者かの手に掴まれ水溜まりに引きずり込まれてしまう。何とか手を振り払って水面に出ると、目の前には赤い土に赤い城壁が並ぶ街…そう、そこは紀元前14世紀のヒッタイト帝国だったのだ。

 時の皇帝シュッピリリウマ1世には6人の皇子がいた。そしてナキア皇妃は実子である第6皇子ジュダを帝位につけるため、上の5人の皇子を呪い殺すための生贄として夕梨をこの時代に召喚したのだった。ナキアに殺されそうになる夕梨であったが、1人の青年によって救われる。彼こそがやがて帝位を継ぐことを周囲から嘱望される第3皇子カイル・ムルシリであった。かくして夕梨はカイルのそばで日本に還るチャンスを待つことになるのだが、帝国を揺るがす数々の動乱の中で彼女はやがて戦いの女神ユーリ・イシュタルとして民から崇められていくことになる。そしてカイル自身も彼女こそが自分がずっと探していた皇妃の資質を持った女性であり、それ以上に最愛の存在になっていることに気付いていく。ナキアの放つ数々の謀略を共に乗り越えながら夕梨もカイルに惹かれていくが…。ついに始まったエジプトとの戦争の中、日本へ還る最後のチャンスが訪れる。

■福場的解説

 この作品の魅力は何と言えばいいのか…歴史ロマン?大河ドラマ?そんな言葉では表現しきれないくらいこの作品は魅力のカタマリだと思います。高校時代に何となく、本当に何となく本屋で第1巻を手に取ったのがこの作品との出会いでした。

 僕のアンテナに引っ掛かったのはまず舞台があのヒッタイト帝国であること。初めて世界史の授業でこの国を知った時、僕は何故かこの国にとても興味が沸いていました。世界で初めて鉄を用いて一時はあの大国エジプトとオリエントを二分するほど強大な領土と力を誇っていたにも関わらずある時突然歴史から姿を消した謎の帝国ヒッタイト…そこに現代日本の中学生の女の子が紛れ込むなんてとっても素敵な設定じゃないですか。やっぱり僕は「現実の世界に1つだけ非現実的なものを置く」というのに弱いようです。そしてこの漫画は史実とフィクションのブレンドが絶妙!もちろん大昔のことだから当時何が起こっていたかは誰にもわからないわけで、ある程度は自由に描きつつ、要所要所では遺跡などから判明している史実を盛り込む…読んでいるともしかしたら本当にこんなことが起こっていたのかもしれないなって空想が広がります。実際に歴史書を読んで見ると主要登場人物の婚姻や生き死に、国の滅亡や同盟についてはかなり史実を辿っていることに驚かされます。その中で描かれる極上の人間ドラマ。電気はおろか火薬も車もない時代の戦争、舞い上がる熱い砂、民衆の熱気、政権争い、愛と悪意、国のために犠牲になる人生…時にはそのスリルに興奮しサスペンスに恐怖し悲劇に胸がしめつけられます。

 キャラクターたちもとても魅力的ですが、やはり主人公・夕梨ことユーリの魅力は絶大です。三千年以上昔の世界では彼女はどのように見えたのでしょうか。黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌の小柄な少女…現代日本では珍しくもありませんが古代人の目には本当に別世界からやってきた女神のように映ったのでしょう。しかも現代人にとっては当たり前の感性や倫理も彼らにとってはとても新鮮だったのだと思います。予防接種を受けているから伝染病にかからない、なんてことも古代においてはまさに神の力に見えたに違いありません。まあそんな偶然の要素もあるのですがユーリがヒッタイトにとって必要な存在となっていったのはもちろん彼女自身の資質によるところも大きいです。勇気と行動力、何が今重要かを見極める判断力と自制心、人を許せる寛大さ…カイルもそしてあのラムセス1世もユーリに「王の横に並んで立てる器」を見い出します。そして彼女の「身分や人種に関係なく1人の人間として人を惹きつける魅力」を僕たち読者も十分に感じさせられることになるのです。もし自分が知り合いの1人もいない異国に突然送り込まれたら、きっと彼女のようにそこで勇敢に振舞ったり自分の居場所を作ったりはとてもできないだろうなあと思います。

 あと僕の職業柄どうしても気になるのは「今と昔、人の心は同じなのだろうか?」ということ。これはテレビの時代劇を見てもいつも思うことですが、心の構造と言うか機能というか、そういった本質はどんな時代でも変わらないのでしょうか。本作はもちろんエンターテイメントなので、価値観や感性は違っても心自体に古代人と現代人の差は感じません。古代人の愛しさと現代人の愛しさは同じなのかな…遺跡からもし当時の心模様までわかるんだったらとても素敵ですよね。カイルに「心を伝えるのにお前の国ではどうするんだ?」と訊かれてユーリがハートマークを教えるシーンはとても興味深かったです。

■好きなシーン

 ユーリはやがて大きな人生の分かれ道に立たされます。それこそが日本へ還る最後のチャンス…カイルと一緒に生きるためにはここに残るしかない。しかしそれはさよならも告げずに離れた家族・友達・学校といったもの全てを永遠に失うこと。死んだはずの人間が蘇ったり、ユーリが都合よく日本とヒッタイトを往復できたりといった甘い設定が一切ないのも本作の特徴。どちらかを選べばどちらかを確実に失う…そんな厳しい選択にユーリが出した答えとは?この時のセリフが本作最大の名場面です。ぜひみなさんご自身の目でお確かめください。

福場への影響

 ユーリほど大きなものでなくとも、僕たちの人生でも時々分かれ道があります。まさか自分にこんな生き方の選択肢があったなんて、と戸惑いながらもわくわくする時があります。まあ僕も実家を離れ北海道に暮らしているわけですが、戻りたくないなんて思いながらきっと心のどこかには「いざとなれば戻れる」という甘えがあるのも事実。割り切りの悪い僕にとってユーリの最大の魅力は自分の生き方を力強く選べるその決断力。僕にもいつかその時がきたら、ユーリのように胸を張って決断をしたいなあと憧れております。

■好きなセリフ

「兄上、お手伝いすると約束しながらおそばを離れることをお許しください。でも兄上の理想は忘れていません。戦いのないオリエント…遠く離れて再びお目にかかることがなくともそばにいる以上に役に立ってみせます」

 第4皇子ザナンザ、両国の和平のためエジプトへの婿入りを決めた際の言葉

(文:福場将太)

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